2021年12月31日金曜日

今年のMy御節

坊守に毎年、家族で囲む御節のお重とは別に、私が一人でチビチビやる用に小さなお重を作ってもらいます。

今年は新しい器を用意して、作ってもらったのがこちらです。

娘と「第68回 日本伝統工芸展」へ出かけ、鑑賞し終えて高島屋の催会場の階からエスカレーターで下っている途中、娘が「ほら、お父さんの好きそうなのがあるよ!」。

家庭用品のフロアに立ち寄って、手に取ってみると、木目や質感が確かに素敵です。
だけど「使う機会があるかなぁ」と言う私に、娘は「御節を入れてもらえば」。
おぉ、なるほど!ということで購入しました。

使った後は丁寧に洗って、保護のためにはクルミ油を塗ったりとか手間がかかるものですが、今の時代、そういう手間がむしろ大切にしなければならないことかもしれませんね。

箱屋常吉さんのHP

2021年12月25日土曜日

年末年始の行事のご案内

●修正会

[日 時] 元旦の午前零時より厳修

新年を迎えるにあたり仏さまに対する報恩感謝の心から勤まり、仏法聴聞のこころざしを新たにするものとして厳修されます。

勤行中、焼香がありますのでご家族おそろいでお参りください。

元旦は終日開門しております。どうぞ随時お参り下さい。


●新年会
大人数での飲食を避けるため、役員のみで行います。


2021年12月20日月曜日

寺報12月(裏)―住職雑感―

県の人権集会で、北九州でホームレスの自立支援をされている奥田知志さんの講演がありました。

ハウスレスとホームレスという二つの困窮があり、前者は経済的困窮のことで、住まい、食べ物、収入がない…といった状況。
後者は社会的孤立のことで、家族、役割、心配してくれる人がない…といった状況。
そして、この両方が重なると、世間一般でいうところのホームレス、路上生活者になるのだそうです。

このお話を聴講して思ったのは、社会的孤立に限らず、家族を超えたこの世界とのつながり、単なる役割を超えた生きる意味、心配してくれる人を超えた真に私を支えてくれる存在、そういう「ホーム」がレス、欠けている。
それは「いのちのホームレス」なのではないか。

現代は衣食住に関して豊かな社会です。
しかし、確かなつながりがない、心の安らぎがない。
私の魂、いのちが落ち着くところ、帰るところ、そういう意味でのホームがない人は多いのではないだろうかということです。

宗教とその教えは、本来、そういう意味でのホームです。
願隨寺はみなさまのご先祖さまのいのちのホームであるだけでなく、今を生きるみなさまのホームでもありたいと思います。

2021年12月15日水曜日

正信偈のお話 十六⑮

善導独明仏正意 矜哀定散与逆悪

光明名号顕因縁

[二河白道⑤]

しかし、旅人は後ろからの誘惑の声に決して振り返ることはありませんでした。

己の決意を胸に、ただ一心にひたすら白い道を進みます。

すると、意外なほど直ぐさま西岸にたどり着いて、いずれの難に遭うことはありませんでした。

そして、そこで自分を待ち受けていた素晴らしい友と巡り遇えうことができ、共に喜び合うことができました・・・。

以上が、善導(ぜんどう)大師の『観経疏(かんぎょうしょ)』に説かれている二河白道(にがびゃくどう)の譬喩(たとえばなし)です。

では、このお話しに出てくる登場人物や状況はいったい何を喩えているのでしょうか。 ~つづく

2021年12月9日木曜日

畠中咲菫・藤沼 哲・今尾栄仁 展

書家の畠中咲菫先生の作品展に行ってきました。

畠中先生は御所の浄宗寺住職の畠中くんのお母さまで、公私共にお世話になっている方です。

今回は単独の個展ではなく、彫刻家の藤沼哲さんと画家の今尾栄仁さんという方との合同の作品展でした。

これは畠中先生の「土」。

これは藤沼哲さんの作品。
有機的というか、気持ち悪いというか、なんというか(笑)。

そしてこれが今尾栄仁さん。

どれも個性的な作品でしょ♪

2021年12月1日水曜日

寺報12月(表)―坊守エッセイ―

竜田公園の紅葉の赤や黄色のグラデーションがとても美しく、川沿いの遊歩道では、紅葉に透けた光の中をもみじ狩りの人たちが思い思いに散策されていました。

そんな細やかな賑わいに、先が見えなかった新型コロナの感染拡大状況が少し落ち着き、世の中が動きだそうとしているのを感じます。

先日、ずっと活動を中止してた坊守会の学習会を久しぶりに開催しました。

今回は、講師の先生はお招きせず、講義の動画を聴講する形をとりました。
講題は「煩悩心垢の自覚 ― コロナ禍からの問い ー」。
講義後の座談会では、お互いの近況報告や非常事態宣言下の対応などを語り合いました。
各寺ごとの取り組みや工夫や、困った事、感じた事…。
話し出すとキリがなく、あっという間に閉会の時間になってしまいました。

こうして顔を合わせて会話することが、いかに大切で有難いことであったのかを実感させていただきました。
今の状況もいつまで続く事かわかりませんが、今日出逢えている事に手を合わせて一日一日を過ごしてゆきたいと思います。

【by坊守】

2021年11月20日土曜日

寺報11月(裏)―住職雑感―

コロナの影響でレジャーにも変化があり、最近はキャンプブーム。

日本の場合、キャンプはキャンプ場で行いますが、北欧の国々ではマナーを守れば私有地や国有地であっても森でキャンプができます。
なぜそんなことが可能かというと、自然享受権といって「自然はみんなのものだから、独占すべきでない」という考え方があるからです。

キャンプ以外にも、散歩やカヌーもOKですし、ちょっとぐらいなら木の実を採ってもいいそうです。
ステキですね。

日本でも・・・と思いますが、この考え方は北欧の人たちが長い歴史をかけて、当たり前のことと思えるまでに育ててきた共通認識とのこと。

日本人の当たり前は「人に迷惑をかけてはいけない」。
これは裏返すと、「人に迷惑をかけなければ何でもあり」であって、こうした意識では難しいというのが専門家の意見です。

ですが一方で日本には、全てはご縁による賜り物であり、自然は人間の所有物ではないという仏さまの教えに基づいた感覚もあります。
こちらがもっと当たり前になれば、自然をみんなが大切にできるようになるかもしれませんね。

2021年11月15日月曜日

正信偈のお話 十六⑭

善導独明仏正意 矜哀定散与逆悪

光明名号顕因縁

[二河白道④]

すると同時に、対岸の西の方からも声がしました。

「旅人よ、迷うことはありません。
こちらへいらっしゃい。
私が守ってあげます。
河に落ちることを恐れず、真っ直ぐこの道を進みなさい」と。

身近に励ましの声と、彼方に呼び声を聞いた旅人は、もはや躊躇うことなく白い道を歩き始めました。

背後からは獣や盗賊たちが叫んでいます。

「おーい、危ないぞーっ、戻ってこーい。
そんな道を行けば河にはまっちまって死んじまうに決まってるぞーっ。
俺たちは何にもしねーから、行くのは止めとけってーっ」 ~つづく

2021年11月1日月曜日

寺報11月(表)―坊守エッセイ―

難波別院・通称南御堂の報恩講さんに行ってきました。

新型コロナウイルス感染症の感染防止の観点から、露天やお茶席等の催し物や名物の銀杏粥の振舞い等の行事は無し。
法要時間の短縮、本堂内の換気、参拝席の間隔を空けるなどの対策をしつつのお勤めでした。

けれど昨年と違うのは、二十七日の結願逮夜と二十八日の結願日中の両日、二年ぶりにご門首の御出仕があり、私は教区の坊守会役員としてご門主や随行者さんのお接待役をさせて頂きました。

大谷暢裕ご門主は南米開教区開教使であられたお父様のもとでブラジルでお育ちになられたので、日常会話はポルトガル語でお話しされると伺っていましたが、流暢な日本語でお出ししたお茶菓子の銘をお尋ねくださいました。
用意させて頂いていたお菓子は、紅葉した山を模した「唐錦」と、竜田川の紅葉をイメージした「竜田」。

私たちのご門主様は、もてなしのお菓子一つにも気を留めて下さる、細やかで優しい方でしたよ。

【by坊守】

2021年10月20日水曜日

寺報10月(裏)―住職雑感―

生駒吉乃(きつの)は、戦国武将・田信長が最も愛した女性と伝えられる側室で、後の岐阜城主となる信忠ほか、信雄・徳姫を産んでいます。

愛知県にその吉乃の墓がある菩提寺があるのですが、近く取り壊されることになったそうです。

老朽化に伴い維持管理が難しくなったためで、跡地は市に売却され、公園として整備される見込みとのこと。
役員の十九代生駒家当主・生駒英夫さんによると、お寺には約六十年前から専務する住職がおらず、檀家も十軒ほどといいます。
長年維持管理が課題になってきて、約五年前から取り壊しを検討。
耐震化や雨漏りの問題があっても、費用面から改修は困難だったそうです。

願隨寺も門徒数の少ない小さなお寺ですが、にもかかわらずこうして護持されているのは、偏に門徒会のみなさまのお陰であり、感謝に堪えません。

しかし、お寺は費用だけで保てるものではありません。
人が集ってこそ!
来月十一月十三日(土)の報恩講には是非お参りください。

2021年10月15日金曜日

正信偈のお話 十六⑬

善導独明仏正意 矜哀定散与逆悪

光明名号顕因縁

[二河白道③]

「あぁ、戻っても、じっとしていても、進んでも、どのみち私は死ぬのだ」

八方ふさがりの状況に愕然とする旅人でしたが、そこに一つの覚悟が生まれます。

「そうだ、いずれにせよ死から逃れられないのなら、敢えてこの道を進んでみようではないか。
道は既にある。
きっと渡すために道がついているに違いない」

そう旅人が決心したとき、誰もいないと思っていたこちら側の岸で声がしました。

「旅人よ、躊躇わずにその道を行きなさい。
怖がらなくてもよい。
ひたすらにたずねて進むのです。
そうすればこの難を逃れることができるでしょう」 ~つづく

2021年10月1日金曜日

寺報10月(表)―坊守エッセイ―

青空の下、実りの季節を迎える田んぼがとても綺麗です。
葉っぱにはまだ緑色が残っていますが、稲穂は黄金色になり重そうに頭を垂れ収穫を待つばかりに。

私はご飯が大好きです。
ホカホカに炊きあがった真っ白なご飯は何物にも代えがたいと思っています。

それもあってか、子どもの頃から田んぼの風景がとても好きでした。
水を入れたばかりの湖のような水田や、夏の蒼々とした青田は目にも美しいですし、実りの時期の金色になびく様は神々しさすら感じます。

田んぼに神聖性を見るのはアジア圏でも日本独自の文化だそうです。
それは日本人にとってお米は特別なもので、古くから稲作は神様との共作であるとの考え方があったからだとか。

今日美しく実っている田んぼは、代々大切に受け継がれてこられたことの証なのですね。

昨年はウンカの深刻な食害被害を目の当たりにしました。
どうか今年のお米は豊作で無事に収穫されますように。

【by坊守】

2021年9月15日水曜日

正信偈のお話 十六⑫

善導独明仏正意 矜哀定散与逆悪

光明名号顕因縁

[二河白道②]

目の前の危険な大河に慄く旅人は、これはとうてい渡るのは無理だと引き返そうと後ろを振り返りました。

すると、なんと片方からは盗賊が、もう一方からは野獣や毒虫がゾロゾロと群れをなして、自分を殺そうと近づいてきているではありませんか。

これはいけないと逃げだそうにも、進む先には火と大波の河。

旅人は思います。
「あぁ、私は今日死ぬのだ。
ここでウロウロしていても彼らによって命を奪われてしまうだけ。
かといって河の間の西へ向かって伸びるあの細すぎる道はとうてい渡れない・・・」 ~つづく

2021年9月10日金曜日

寺報9月(裏)―住職雑感―

去る7月26日、「奄美大島、徳之島、沖縄島北部及び西表島」が世界自然遺産へ登録されました。

一昔ならば登録の喜び一色でしたが、最近は環境への意識が高まってきて、そう単純ではないようです。
悩みの種は観光客の増加。

当然、人が増えれば交通量も増えます。
それによってヤンバルクイナ、イリオモテヤマネコといった島々の希少動物が車にひかれ命を落とす「ロードキル」が増えてしまいます。

また、人が増えれば環境が破壊されます。
逆に、例えばコロナで観光客が減ったことによって、たった一年でハワイのオアフ島の水質は改善されました。
こうしたこともあり、「オーバーツーリズム(観光地に許容を超えた観光客が押し寄せること)」対策としてマウイの郡議会では宿泊施設の新規建設を凍結する条例が可決されました。
今回、沖縄県も西表島入島の年間の人数制限を示しています。

他にも、現地ツアーによる人間の糞尿による環境破壊対策として、犬のアレみたいに自分で持ち帰ることを始めているそうです。

このように経済効果一辺倒から、自然への配慮を大切にするようになってきたことは喜ばしいことですね。

2021年9月2日木曜日

日々草の花一輪

私が発起人、陶芸家である御所のお寺の畠中夫妻を講師として、大阪の難波別院を会場に2016年から3年ほど教区陶芸同好会を行っていたことがあります。

その時に作った素焼きのお猪口を晩酌に使った翌日、坊守が寺報にも書いた日々草の花を一輪浮かべていました。

2021年9月1日水曜日

寺報9月(表)―坊守エッセイ―

今年のお盆は雨続きで八月とは思えないくらいの気候でしたね。
このまま秋に突入してしまうのかと思いましたが盆明けから残暑は例年通りです。

朝、まだ境内に直射日光がさす前に鉢植えにお水をあげます。
母の日に娘がくれた紫陽花と、種から育てている臘梅、そしてご門徒の奥さんから頂いた日日草(ニチニチソウ)です。

実は私はお花を育てるのが苦手で、何故かすぐに枯らしてしまうのですが、今年はお盆の雨に助けられてどの鉢も元気です。

日日草という名前は、日々絶えることがなく花が咲き続ける様子から付けられたと言われています。
ソフトクリームのようにキュッとねじれた蕾が可愛らしく明日も新しい花を咲かせてくれるのねと嬉しくなります。
花言葉は、毎日新しい花をたくさん咲かせる姿が、日々新しいことを経験してワクワクしていた幼い頃や、そんな日々を共にした友だちとの絆を連想させることから、「楽しい思い出」「友情」というそうです。

すっかりおばさんになりましたが、日々の新しい出逢いは今も楽しみです。

【by坊守】

2021年8月30日月曜日

秋期彼岸会法要のご案内

真宗において「彼岸」とは、阿弥陀仏の「浄土」を指します。
浄土は、私たちが還っていく世界であると同時に、迷いの世界である「此岸」に生きる私たちの在り方を照らし、私自身の生き方を問いかけてくださる世界です。
お彼岸は、浄土に還っていかれた亡き人を偲ぶとともに、諸仏となられた亡き人からの問いかけに耳を傾け、いただいたいのちの尊さを振り返る大切な行事です。

>> 法要の際のコロナウィルス感染対策


2021年度 秋期彼岸会法要

日時:9月23日(木) 夜7時~ 8時

(法要の時間は例年の半分の時間で執り行います)



2021年8月27日金曜日

ご出産祝い

隣寺の若夫婦に赤ちゃん誕生とのことでお祝いを買いに行ってきました。

ベビー用品売り場に行くのは久しぶりです。
何を見ても可愛い~❤

いろいろと悩みましたが、ちょっと気が早いかもしれないけれどベビーリュックと履きやすいブーツを♪
あんよが上手になったらご家族でたくさんお出かけしてくださいね。
【by坊守】

2021年8月20日金曜日

正信偈のお話 十六⑪

善導独明仏正意 矜哀定散与逆悪

光明名号顕因縁

[二河白道①]

西へ向かって百千里の旅をする者がいました。

彼の前に南北に二つの大きな河が現れます。
なんとそれらは燃えさかる火の河と、荒れ狂う濁流の河です。

河に挟まれたところには道らしいものがありました。
長さは百歩ほど。
自分のいる東の岸から西の対岸まで通じています。
しかし、それはほんの四、五寸の幅しかない細く狭い道でした。

しかも、北の河からは激しい波が押し寄せます。
波が引いたかと思うと、南の河から炎が襲ってきて道を焼きます。
それが交互に繰り返されるので、とても渡れそうにありません。 
~つづく

2021年8月15日日曜日

永代経勤修 ~かわいい灯籠

お盆の前から降り始めた長雨。
台風の影響などで一日か二日くらい天気が悪いことはあっても、連日雨というのはあまり記憶にありません。

足下の悪い中をお参りに来てくださるのも気の毒なのですが、雨だとせっかくの灯籠を表に出せないのも困りものなんです。
あぁ、残念だなぁ・・・。

・・・と心配していたのですが、なんと午後から雨が上がってくれました。
お陰で今年もしめやかに、かつ美しい万灯会ができました。

そうそう、今年は久しぶりに子どもたちに絵を描いてもらった灯籠もあったんです。
近所のご門徒さんのお宅にお参りに行った際に、夏休みということでお孫さん三人が座ってくれて、その際に「みんなで絵を描いてお供えしてくれへん?」と頼んだら「うん」と言ってくれて。
「後で孫があと四人くるから」とおっしゃってくださり、計七人が可愛い絵を奉納してくれました。
中には何か夏休みの宿題と勘違いしたのか、九九と全国の県名が書かれた紙もありましたが(笑)。

ちなみに、灯籠は名号と施主さんと法名(二枚)で一セットなのですが、法名がお一人分ときは残りの面に絵を描いたモノを貼っています。
娘が
写真の雀のように上手に描いてくれるのですごく助かります。

さて、永代経の方ですが、コロナ対策を講じつつ例年通り勤修いたしました。
去年今年と参拝者は減っていますが、このようなご時世の中でも参拝に来てくださるみなさまには本当に頭が下がるばかりです。

行うとはいえ、やはり心配なので時間短縮の式次第でのお勤めです。
なのに、いつもの半分のお話でお願いしますと頼んでおいたのに、やっぱりしゃべりすぎる宮部先生。
長年の友人ですし、口から先に生まれてきたあの先生はしょうがないです
(笑)

2021年8月10日火曜日

寺報8月(表)―坊守エッセイ―

梅雨が終わったとたんすっかり暑くなりましたね。
夕刻の陽が沈んだ時間を見計らって境内の除草作業をしています。

先日、本堂横の柿の木に羽化する前の蝉の幼虫を発見。
まだ土中から出たばかりのその子は元気に登り続けていました。

よく蝉は土の中で七年間を過ごし、成虫になって地上で暮らすのは一週間ほどという話を聞きますが、実際はツクツクボウシで一~二週間、アブラゼミで三~四週間なのだそうです。

蝉の幼虫はその多くがモグラや、地上に出て羽化するまでにも鳥などに捕食され、無事に羽化が成功して成虫になるのはほんの一部。
なので鳥が活発に動く朝になる前、夕刻から夜半にかけて命を懸けて羽化を完了するのだそうです。

そう思えば朝からシャンシャンと元気良く鳴いている蝉の声もいじらしく聞こえますね。

私達には儚く見える蝉の一生ですが、見ているのは地上にいるほんの一時の姿。
彼らは長い幼虫時代、地中は地中でしっかりと恵みを受け、その中でじっくり生き切ってお日様の下に現れます。
どこにあっても慈悲の中で生かされているんですよね。

願隨寺の土の中で育った幼虫さんは次の日、柿の細い枝先に抜け殻を残して飛び立っていきました。
いってらっしゃい。
【by坊守】

2021年8月8日日曜日

鬼灯

初盆の法事に伺ったお宅のお内仏の扉に鮮やかな鬼灯がカーテンのように!

作法的にいいのですか?と問われれば返事に窮するのですが、故人のためにここまで美しく荘厳されたものですもの、ステキだと思います❤

2021年8月6日金曜日

早朝のお墓経へ


毎年8月6日は代務住職をしているお寺の村のお墓経。
早朝6時始まりなのでこちらを5時半過ぎに出ます。
走りながら見上げる空はようやく白みはじめる時間です。

以前はこのための早起きが辛かったのだけど、50歳を超えた頃から平気になってきました。
その分、早く眠たくなるようになってきて、すっかりお爺ちゃん化していってるなぁ(笑)としみじみ思う今日この頃です。

2021年8月5日木曜日

お盆行事の準備

今朝は来週の永代経と万灯会の準備をご門徒さんと一緒に行いました。

先ずは境内の清掃。
当日までに、だいたいきれいにしておいているつもりなのですが、この時期は一週間前に草引きをしたところでももう生えてますし、隅々までみなさんできれいにしてくださいます。

その後、本堂に入って灯籠張り。
灯籠の骨組みをトントンして組み立てて、四面に名号と施主さんと法名(二枚)を書いた紙を貼っていきます。

今年は、ここ数年ご家族の介護でお忙しかった方が久しぶりにお手伝いに来てくださり、元気そうなお姿を拝見できてなによりでした♪

2021年8月1日日曜日

寺報8月(裏)―住職雑感―

オリンピックがいよいよ開幕しましたね。

自分はテレビにかじりついて観ることはなく、ニュース番組中のダイジェストで結果を知る程度でして、リアルタイムの情報はもっぱらお参り先で「○○、金取りましたで」とか「あきませんでしたな」とか教えていただいてます(笑)。

さて、コロナ禍の最中ですのでオリンピックの開催には賛否両論でした。

既に開会式が始まっていても、まだ表では反対の声を上げている人たちもいました。
もう始まってしまってるんやから・・・と思われた方もおいででしょうが、私はなんと日本は平和なんだろうという思いでいっぱいでした。

世間の空気を読む必要もなく意見を言えて、そのせいで強制排除や逮捕もされない。
最近の香港事情を見ていると当たり前の事がなんとありがたいことかと思えます。

反対意見も多様性の一部。
オリンピックに謳われる多様性の尊重が何時如何なる時、場所であっても認められる世界であってほしいと願います。

2021年7月20日火曜日

正信偈のお話 十六⑩

善導独明仏正意 矜哀定散与逆悪

光明名号顕因縁

善導(ぜんどう)といえば『観経疏(かんぎょうしょ)に記された「二河白道(にがびゃくどう)の喩(たと)え」が有名です

私たちの迷いの人生の有様をこちら側の岸の場面に、その中でも真実に生きようと願う念仏の行に生きる者(行者)の心に起こる不安を二つの河に、求道とそれへの導きを白くて細い一本の道に喩えたものです。

親鸞聖人も著書『教行信証(きょうぎょうしんしょう)』の中に引いておられますし、法話でもよく使われる喩えですので聞いたことがある方もおいでかと思います。

2021年7月15日木曜日

永代経ならびに万燈会のご案内

[日時]2021年 8月15日(日)     午後7時

[講師]門真市 西稱寺住職・ 宮部 渡 師

勤行中、焼香がありますのでご家族おそろいでお参りください。

この一年に新仏を迎えられたご門徒様には法要中に別途ご案内させていただきます。

※万燈会点灯     午後6時半より

献灯いただきました灯籠は境内、本堂の縁に荘厳いたします。ご家族で点灯ください。

※新型コロナウィルス感染対策を講じた上で法要を執り行います

2021年7月10日土曜日

寺報7月(裏)―住職雑感―

一月の半ばから日記をつけています。

日記なんて小学生の夏休みの宿題以来でしょうか。
日記といっても12センチ四方の小さなスケッチブックに絵を描いて短い言葉を添える程度のものですけどね。

コロナのために行事はない、会議もない、会議後のお酒もない(笑)。
メリハリのない毎日・・・去年からそんな風に思っていたのですが、ふと、何もない一日なんてないんじゃないのかな?ささやかなことでも何か心が動いたことがあるだろうと一念発起。

いただいた和菓子とその場でのご門徒さんと会話。
嫁さんが作ってくれたマスクとその感想。
所詮その程度の内容ですが、書き残していなければ一月後には何の記憶にも残らない一日になっていたかもしれません。

ちなみに「所詮」は元は仏教語でして、物事の本質を「能詮」、本質を分かり易く表すことを「所詮」といい、お経の意味を「つまりこういうこと」と表したのが転じて今のような使われ方になりました。

一見「ただの一日」であっても、小さな現れに込められた出来事の本質を丁寧に見つめていきたいと思う今日この頃です。

2021年7月8日木曜日

お祖母ちゃんの団扇

夏、ご門徒のKさんはお勤めの間、後ろから団扇で扇いでくださいます。
昔はこうしたお婆ちゃんがたくさんおいででした。

団扇の風はとても柔らかく、涼しいというよりも実に心地よいのです♪

Kさんの団扇

Kさんが幼い頃、お祖母ちゃんが子ども三人に団扇一つでは足りないので両手に団扇を持って自分たちが寝付くまで扇いでくれたのだそうです。
それが本当に心地よかったそうです。
たぶんそのお陰で、今でも団扇の風が大好きで、人に扇いであげるのも好きなのだろうと語ってくださいました。

子どもの頃の幸せな体験は、その人がまた誰かを幸せにするとても大切なのですね。

2021年7月1日木曜日

寺報7月(表)―坊守エッセイ―

いよいよ七月、延期の末に中止も危ぶまれたオリンピック、パラリンピックですが、今のところ縮小しつつも開催の方向で進んでいます。

去年はほとんどの大会が中止になった学生のインターハイやコンクールなども、今年は無観客等の感染対策をして行われるそうですね。

私も学生の頃は八月に行われる吹奏楽コンクールを目指して仲間たちと熱い夏を過ごしていました。
自分たちの力量を分かっているつもりで分かっていない私たちに、顧問の先生はとても厳しく、「ベストを尽くせ!」が口癖で、技術、体力、精神力の限界を常に求められました。
壁にぶつかり挫折しそうになりながらも、その時知った「仲間と音を合わせることの気持ち良さ」は、今も楽器を続ける源になっています。

初めて楽器を手にしてから三十年以上経ちましたが、まだまだ下手くそで越えなければいけない壁は次々に出てきます。
あと何年楽器を吹けるかわかりませんが、まだ伸びしろがあると信じてベストを尽くしたいと思います。

さぁ本番間近、何事にも制約が多い今年の各大会ですが、選手や学生さんたちには精一杯自分と向き合えた悔いのない夏になりますように。
【by坊守】

2021年6月20日日曜日

正信偈のお話 十六⑨

善導独明仏正意 矜哀定散与逆悪

光明名号顕因縁

光明とはありのままの私を照らすために投げかけられる働きのことです。
名号とは「南無阿弥陀仏」という言葉になって現れた真実のことです。

「光明名号顕因縁」とは、光明が「縁」となり、名号が「因」となって、私たちに信心が得られるという意味です。

例えば、光明とは私に仏法を聞く縁をもたらしてくれたご先祖さんや恩師や友人のことでしょう。
その人びとから照らされて、自分の内面にあって気づくことのなかった生きることの意味が明らかになっていきます。

光をもたらす人の縁にもよおされて呟くお念仏。
そのみ仏の名を称える者の内には、この人生を虚しく過ごしたくはない、人間であることの意味を成就したいという願いが、実は内因として存在しているのです。

2021年6月10日木曜日

寺報6月(裏)―住職雑感―

夕飯中にエリック・カールさんの訃報のニュースが流れました。

妻も私も大好きで、子どもたちも大変お世話になった絵本作家さんです。
特に有名な『はらぺこあおむし』は、鮮やかな色彩で、「食べる」そして「育つ」ということが、シンプルに活き活きと描かれた作品です。

各々思い入れがあり、しばし我が家は『はらぺこあおむし』トークに。

そんな中の娘の一言、「あいつ、全部ちょっとずつ食べて穴開けていきよんねん(笑)」と。
確かに私たちからするとちょっとお行儀が悪いことですよね。
でも自然界では必要なだけ食べたら後は残す。
そして残りは他の生き物が食べ尽くすことによって無駄なく命の糧となっていきます。

でも人間は、必要以上に食べるし、残りをゴミにしてしまいます。
日本では、まだ食べられるのに廃棄される食品、いわゆる「食品ロス」は年間600万トン。
これは世界中で飢餓に苦しむ人々に向けた世界の食料援助量420万トンの1.4倍に相当します。
その援助も追いつかず餓死していく子どもたちは、なんと5秒に一人もいます。

「食べる」そして「育つ」という命の自然な営みが誰にでもそうあってほしいと、今、久々にページをめくりながら絵本を味わっています。

2021年6月1日火曜日

寺報6月(表)―坊守エッセイ―

今年は例年より早い梅雨入りですね。
娘が母の日にプレゼントしてくれた紫陽花「万華鏡」が雨に濡れて元気です。

雨あがりの午後、出かけていた息子から「今、凄い虹」とメッセージが届きました。
添えられた写真にはくっきりと弧を描く虹が。

続いて「最後までたっぷり」とまたコメント。
急いで外に出てみましたが、境内からは虹の全貌が見えません。
そのまま小吉田の田んぼまで出て行ってみると、大和川の向こう側から矢田丘陵方面にかけて斑鳩全部を跨ぐ完璧な虹が見えました!

本当に根元までくっきり、そしてたっぷり。
かすかに二重にもなっています。
写真を撮ってみたのですが、スマホの画面に入りきらないほどでした。
これまで私が見た中で一番見事な虹だったかもしれません。

その日のSNSには友人達があの虹の写真をたくさん投稿していました。
離れていても同じ虹を見た感動を共有したい!
みんな心がそう動くものなんですね。

思うように人と会えないこのコロナ禍の中であればこそ、人はより繋がりを大切に思うのかもしれません。

【by坊守】

2021年5月20日木曜日

正信偈のお話 十六⑧

善導独明仏正意 矜哀定散与逆悪

光明名号顕因縁

「定(じょう)」(定心(じょうしん)の善)は雑念を離れて心を一つに集中する修行のこと、「散(さん)」( 散心(さんしん)の善)は散漫な心のままですが悪を捨て善を修めようと努力する修行のことでした。
これら定・散の人々を代表するのが『観無量寿経(かんむりょうじゅきょう)に登場する韋提希(いだいけ)という女性です。

次に逆悪(ぎゃくあく)とは、五逆(ごぎゃく)(父、母、聖者を殺す・僧団を壊す・仏身を傷つける)と、十悪(殺す・盗む・犯す・嘘・戯れ言・悪口・二枚舌・貪り・いかり・愚痴)のことです。
この逆悪の人を代表するのが、同じく『観無量寿経』に登場する韋提希の息子・阿闍世(あじゃせ)という国王です。

そして親鸞聖人は、これら定散逆悪なる者とは決してそうした誰か、他者だけを指すのではなく、仏の真実に背き続けている自分自身の姿であると内観(ないかん)されるのでした。

2021年5月10日月曜日

寺報5月(裏)―住職雑感―

この春、コロナの感染が再拡大しはじめた頃、人権関係の全国大会に奈良県の代表として出席した時のことです。

お隣は和歌山県の代表で、お互い「大変ですね」としみじみ。

そこへ前の席に座っていた○○県の代表が振り向き、割って入ってきたんです。
「あんた、奈良か!あんたらなぁ」と関西での感染者の増加に対してもの申されました。

えぇ~、そんなん言われても。
というか、ここはやっぱり「大変ですね」とちゃいます?ねぇ。

この人、これで県の人権の代表なんだとゲンナリ…。
そして、あぁだこうだとおっしゃる言葉に「はぁ」「そうですね」と生返事をしながら私は全く別のことを考えていました。

東日本大震災の後、福島のたくさんの方々も「あんた、福島か!」という言われ方をして、返す言葉もなく我慢されたのだろうな。
そういえば震災の後、幼い子どもさんを抱える福島の二家族をお寺でのホームステイでお預かりしたなぁ。
震災から十年やから、あの子らももう中高校生になってんのやろうなぁ。
元気にしてるかなぁ…と。

ま、話を戻しますと、お参り先のみなさん全員が怒っていたこないだの「この状況の中でGoToイート販売?何考えてるの!」騒動のときじゃなくってよかったってことです。
あれを言われたら本当に縮こまるしかなかったですからね・・・。
県民が恥ずかしい思いをしないよう、行政にはしっかり考えていただきたいものです。

2021年5月3日月曜日

自家製お茶っ葉

お寺の新聞に書きました自家製お茶っ葉の詳細です。

代務寺院の境内で摘んだお茶の葉です。

電子レンジで軽くしんなりさせます。

低温のホットプレートで水分を飛ばし、手で揉む・・・を繰り返します。

すると、干しワカメのようなカリカリのお茶っ葉ができあがります。
爽やかな瑞々しい味がしました♪

【by坊守】

2021年5月1日土曜日

寺報5月(表) ―坊守エッセイ―

若葉萌ゆる新緑の季節、木々の新芽はまだ幼く、黄緑色で柔らかくて何だかとっても美味しそう…。
この時期の若い葉っぱにはまだ緑色成分の葉緑素が少なく、葉っぱにもともとあるカロチノイドという黄色い成分と重なって黄緑色に見えるのだそうです。
それが葉緑素がどんどん光合成をして増えていくと、黄色を塗りつぶしていって、日差しの強い夏ごろには濃い緑色に変わるというわけですね。

さて、代務寺院の境内に植えてあるお茶の木にも可愛らしい新芽が沢山出ています。
そこで今年初めて茶摘みをしてみました。

柔らかい葉先を三枚ほどプチプチと摘んで香りの良い茶葉を袋いっぱい収穫。
帰宅してからお茶の作り方をネットで検索し、緑茶作りに挑戦です!
揉んでは低温のホットプレートで水分を飛ばすことを何度も繰り返します。
すると、売っているお茶にはかないませんが、良い香りの爽やかなお茶ができあがりました。

無住のお寺の隅で人知れずたたずむお茶の木。
そんな木の葉っぱが本当にお茶になるのか半信半疑でしたが、予想以上にちゃんとお茶の味がして、お茶の木のその身に備わる力に感動させていただきました。
【by坊守】

2021年4月20日火曜日

正信偈のお話 十六⑦

善導独明仏正意 矜哀定散与逆悪

光明名号顕因縁

(じょう)・散(さん)とは、修行や善を行う人の姿です。

「定」は定心(じょうしん)の善(定善(じょうぜん))といって、雑念を離れて心を一つに集中して、仏および極楽浄土を一心に念ずる修行のことです。
いわゆる瞑想に入ることです。
『観無量寿経
(かんむりょうじゅきょう)』では十三観の方法が説かれていますが、誰にでもできることではありません。

「散」は散心(さんしん)の善( 散善(さんぜん))といって、ふだんの散乱し動く心のままですが、「悪を捨て善を修める」という道徳的な徳行のことです。
そこには上・中・下、三つの観法が説かれます。

己を超える道を求める人、己を高めたいと道を求める人、世間並みには真面目に生きようと努める人、さまざまな悪を犯さずには生きていけないが救いを求める人などに勧められる宗教的実践のことです。

2021年4月15日木曜日

スズメの子育ての季節です

この季節、境内に落ちているすずちゃん(お寺のゴールデンレトリバー)の抜け毛をスズメやカラスやその他の鳥たちが拾いにきます。

雛の為に温かい寝床を作ろうと、口にいっぱい毛を拾っている親鳥達の姿はとても可愛らしいのですが、警戒心が強く、なかなかその姿を撮影することはできませんでした。

そこで!地面にすずちゃんの毛を仕掛け、スマホをセットして隠し撮りに挑戦してみました!
スマホを放置すること15分。
巣材を集めるスズメさんの撮影に成功!

目一杯咥えようとスゴク頑張ってます。
愛情たっぷりの巣で雛たちが元気に育ちますように❤

【by坊守】

2021年4月10日土曜日

寺報4月(裏)―住職雑感―

先月から輪袈裟にカラフルなバッチを着けているんですけど気づいていただいてます?
奈良県人権教育推進協議会に出席した際に購入したSDGsのバッチです。

SDGsとは「持続可能な開発目標(Sustainable Development Goals)」の略称です。

このままだとピンときませんが、元NHKキャスターの池上彰さんは「誰もが同じように幸せに、長く暮らせる社会」と分かり易い言葉にしてくださっています。

そうした社会を国際社会全体で2030年までに実現しよう、そのために全世界で17のゴールを定め、地球上の誰一人として取り残さずに達成しようという目標です。

SDGsのバッジに使われている17色は、その17のゴールを意味しているんです。

経済、福祉、教育等、様々な分野がSDGsを共通の課題として取り組みはじめています。

そして宗教界も例外ではありません。

例えば浄土真宗の教えには「摂取不捨(全ての者をおさめとって見捨てない阿弥陀仏の願い)」があり、正にSDGsの理念と通じているわけです。

お釈迦さまの教えは時を超え、人類の願いとして光を増しつつあります。

2021年4月8日木曜日

コロナ禍の灌仏会

今日4月8日はお釈迦さまのお誕生日です。
お釈迦さまの誕生をお祝いするお仏事を「灌仏会(かんぶつえ)」または「お花まつり」といいます。

灌仏会の「灌」は「そそぐ」という意味で、お釈迦さまの誕生を天が喜び、祝福のために甘露の水を注いだという逸話によるものです。

お釈迦さまはルンビニーという地の花園でお生まれになられました。
そして、生まれてすぐに七歩歩いて立ち上がり、右手を上げて天を、左手で地を指しながら「天上天下唯我独尊」と言葉を発せられたという逸話に基づき、幼いお釈迦さまのましますお御堂に花を飾ります。

うちの灌仏会では、お参りの際にご自宅から持ってきていただいたお花を供えていただいてもいいようにしてあります。
写真の水仙は、一本の茎に二つの花をつけていて珍しいからとご近所のご門徒さんがお供えしてくださった花です。

さて、柄杓で甘茶をすくいお釈迦さまにかけ手を合わせていただくというのが作法ですが、その際に柄杓を持っていただかなければなりません。
未だ新型コロナウィルスの感染が衰えませんので、今年は除菌スプレーを用意しました。

花御堂の横に除菌スプレー…。
なんか物々しくて残念な気持ちになってしまいます。
来年は憂い無くお祝いできますように。

合掌


2021年4月1日木曜日

寺報4月(表) ―坊守エッセイ―

今年の桜は三月末ですでに満開。
入学式まで待ってくれそうにありませんね。

桜は日本人にとって特別な花だと言われています。
一輪一輪の可憐さ、満開の時の圧倒的な美しさ、散り際のはかなさが、日本人の持つ「もののあわれ」の心にしっくりとくるのでしょう。
昔から桜を歌った和歌や物語が多くあることも頷けます。

古今和歌集に「深草の野辺の桜よ心あらば今年ばかりは墨染に咲け」という歌があります。
上野岑雄( かむつけのみねお) という人が友人を悼んで読んだ歌で、源氏物語で引き歌として使われています。

咲き誇る桜にさえも「私の気持ちを分かってくれるならば喪の色に咲いておくれ」と懇願してしまうほどの悲しみを歌っています。
古来から桜は私達の悲しみにさえも寄り添ってくれる存在だったのですね。

今年のお花見はソーシャルディスタンスを保ちつつ、静かにそっと楽しむだけですが、こんな時にも私達を慰めてくれる桜。
桜を愛でる心を頂ける幸せをしみじみ感じる春です。
【by坊守】