2021年4月20日火曜日

正信偈のお話 十六⑦

善導独明仏正意 矜哀定散与逆悪

光明名号顕因縁

(じょう)・散(さん)とは、修行や善を行う人の姿です。

「定」は定心(じょうしん)の善(定善(じょうぜん))といって、雑念を離れて心を一つに集中して、仏および極楽浄土を一心に念ずる修行のことです。
いわゆる瞑想に入ることです。
『観無量寿経
(かんむりょうじゅきょう)』では十三観の方法が説かれていますが、誰にでもできることではありません。

「散」は散心(さんしん)の善( 散善(さんぜん))といって、ふだんの散乱し動く心のままですが、「悪を捨て善を修める」という道徳的な徳行のことです。
そこには上・中・下、三つの観法が説かれます。

己を超える道を求める人、己を高めたいと道を求める人、世間並みには真面目に生きようと努める人、さまざまな悪を犯さずには生きていけないが救いを求める人などに勧められる宗教的実践のことです。

0 件のコメント:

コメントを投稿