2023年12月25日月曜日

年末年始の行事のお知らせ

師走の候 皆さまにおかれましては、ますますご清祥のこととお慶び申し上げます。
さて、新型コロナウィルスの感染拡大はひとまず落ち着きを見せましたが、インフルエンザや他の感染症が流行とのこと。
なかなか気を抜けない日々が続きますが、予防には変わらぬ配慮をしつつ行事を以前のように戻してまいりたいと存じます。
どうぞみなさま、お揃いでご参拝くださいますようお願い申し上げます。


●修正会
日 時 元旦の午前零時より厳修
※真冬の深夜の寒気が厳しい時間ですので、防寒に十分にお気をつけいただきお参りください。
元旦の日中は随時お参りいただけますように本堂は開けています。

●新年会
日 時 1月5日(金)午後5時より
会 費 2000円
※ご遠方の方は送迎させていただきます。
準備の都合上、ご参加くださいます方は1月2日までにお知らせ下さい。

2023年12月15日金曜日

寺報12月(裏)―住職雑感―

今年の私の重大事件。

第三位、事件ではありませんが、亡くなった父と同じ歳になったこと。
大変感慨深く思うと同時に、自分の年齢を自覚するものでした。

第二位、コンロに火をかけたまま家を離れてしまったこと。
あれだけ妻のやらかしを注意したのに、まさか自分がやってまうとは!
自分の注意力を過信できないと、これも自分の年齢を自覚。

そして第一位、顔左半分の麻痺。
大体原因は脳梗塞かヘルペス、二つの内のどちらかとのこと。
MRIを撮ってもらいましたが脳に異常は見つからなかったので、ヘルペスの方でした。

ヘルペスは帯状疱疹になる原因のあの菌です。
アレが顔の神経で悪さをするとベル麻痺という症状に。

滑舌は悪いながらもお経はあげられましたし、マスクをしていたのでほとんどの方は気づかなかったようです。
でも瞼はちゃんと閉じないし、食事はしづらいし、すごく大変でした。
幸い現在はだいぶ回復しています。

そしてこれもまた、いつまでも健康でいられるわけではないなぁと年齢を自覚。
「生老病死」がいよいよ自分にもリアルになってきたこの一年でした。



2023年12月1日金曜日

寺報12月(表)―坊守エッセイ―

今年は季節の移り変わりが不安定でしたがようよう秋らしくなって参りました。

山粧う、ならぬ川粧う。
竜田公園の紅葉が陽に照らされて鮮やかに輝き、川沿いは正に秋の粧いです。

先月の良く晴れた好日、願隨寺本堂で姉の初孫の初参式を勤めました。
「初参式」とは生まれて来た赤ちゃんが初めてお寺にお参りして阿弥陀様にお会いする人生最初の仏事です。
一般的によく知られている「お宮参り」と同じように古来から勤められています。

法要の後には百日のお食い初めもお祝いしました。
祝いの膳の献立にはどれも意味があって、その願いを一つひとつつ確かめながら可愛いお口にちょんと触れさせました。

最後に願隨寺からの記念の色紙に可愛らしい手形もとりました。

主人公の赤ちゃんは白地に桜模様の産着も愛らしく終始ご機嫌でしたが、それ以上に赤ちゃんの両親と初孫を得て祖母になる姉はとても嬉しそうでした。

生後三ヵ月の赤ちゃんの為の初参式ですが、子の親になり孫の祖母となって三カ月を迎えた家族みんなの為の行事なのだなと感じたことです。
【by坊守】


2023年11月20日月曜日

寺報11月(裏)―住職雑感―

真一、恵栄、成行、聡、清…。

ご門徒さんを待って墓地の管理事務所の前に立つと警察庁指定重要指名手配被疑者のポスターが貼ってありました。
みんなよい名前をいただいたのになぁ…。

「子」という字は、漢字の成り立ちにはないので後付けでしょうが、「一( はじめ)」から「了( おわり)」までと書きます。

我が子であろうと親の思い通りに育たないのを百も承知でも、その子の〝一生〟に親の願いを込めて名付けます。

でも、子どもの方はそこまで意識しないのが普通のようですね。
自分でつけたわけではなく与えられたものなので、有り難さが感じられないのかもしれません。

そこでですが、法名を自分で考えてみませんか?

本当は法名も仏さまからの賜り物としていただくものなんですけど、法名は本来生前に名乗るものですし、改めて「私は人としてこういうものでありたい」という願いを自分で持っていただく機縁になると思うのです。

字はお経の中から採るものなので何でもよいわけではありませんが、ぜひお参りの際にでもご相談ください。



2023年11月5日日曜日

寺報11月(表)―坊守エッセイ―

隣町王寺町では最近オリーブ栽培を推しておられるそうで、十月末に明神山でオリーブ収穫祭のイベントが行われました。

実は春から和裁を教えていた大学生が、このイベントで自作の着物を着て卒論の研究発表をするという事で招待されました。
建築科の学生さんと和裁とオリーブ?
これがどう繋がってどんな卒論になるのか…。

多くの人で賑わう明神山ふもとのオリーブ畑には、建築科の発表らしく学生作の木製のオブジェや折り畳みのテーブルセット等と共に研究成果の説明書きが展示されていました。

その中に居ました、居ました、着物姿のお嬢さんが!
なんでも、布で物を包む事を建築の原点と解釈しいるそうで、日本家屋→調度品→和装というように関連付けて研究されていたようです。

良く晴れた山腹のオリーブ畑に若者たちのはしゃぎ声。
一見端からはよくわからなく思える組み合わせも、若者らしいキラキラした発想に満ちています。

和裁を習うために半年間通った斑鳩のお寺で毎回お稽古の前に手を合わせていたことも、彼女の創造が生まれる心の宝石の一つになってもらえると嬉しく思います。

【by坊守】

2023年11月4日土曜日

お磨き講

今日は報恩講前のお磨き講でした。
11月とは思えない暖かな昼下がり、本堂に8名の御門徒さんがお集まり下さいました。

お磨きして頂く仏具は、鶴亀、菊墱、香炉など。
有り難いことに初めて参加してくださった方もあり、始めに磨き方など少しレクチャーして、さぁ作業開始です!


今年は毎年使っている「ピカール」という薬剤に加えて「ニューテガール」という製品を試してみました。
ピカールがトロッとした乳白色の磨き粉なのに比べ「ニューテガール」はさらっとした無色透明の液体…。その名の通り「手軽」にピカピカになりました!

すべてのお道具がピカピカに仕上げられた後は、おしゃべりしながらのお茶タイム。
お菓子はご門徒さんのお団子屋さんがお供えに持ってきてくださったみたらし団子。
それと、最近ご近所にできたお店「抹茶のふう」さん
おはぎと創作おはぎ「栗しぼり」を用意させていただいて、みなさんそのお店の話題で盛り上がっていました。
コロナで控えていましたが、やっぱり皆さんで寄ってお話しするのは良いものですね♪


お菓子の写真は本堂の照明とブルーシートのせいで美味しそうな本来の色になっていないので、興味のある方はお店のインスタをご覧ください。⇒「抹茶のふう

次は13日の報恩講でお待ちしております。

【by坊守】

2023年10月31日火曜日

磯長廟と夢告

今日は珍しく一軒もお参りがなくお天気も良かったので、妻を誘って磯長廟に参拝してきました。

私が参加している学習会で、親鸞聖人の御生涯の中で「磯長の夢告」といわれる出来事が担当になり、あぁ、そういえば磯長には行ったことなかったなぁ…せっかくだからこれを機に行ってみるか…行ける処にも行きもせずに発表するのもなんだし…というのが思い立った理由です。

磯長廟とは聖徳太子御廟の通称で、日本書紀によると推古29年(621)に亡くなった聖徳太子のお墓のことです。
磯長の地(現在の大阪府南河内郡太子町)に建つ叡福寺さんの境内の中にあります。



叡福寺さんは、四天王寺、法隆寺とならんで、太子信仰の中核となった寺院です。
御廟には太子を敬う空海や親鸞、叡尊、良忍、一遍、證空、日蓮などたくさんの名僧も参籠されていて、日本の大乗仏教の聖地として栄えました。
お寺の詳細は叡福寺さんのHPをご覧ください。

さて、出かけてみれば、斑鳩から1時間もかからず到着。
こんなに近くにあったのに、今までお参りしなかったことを申し訳なく思ったことです。

叡福寺さんは大阪と奈良を結ぶ竹内街道沿いにありますので昔は人の往来が多く賑わっていたことでしょうが、現在は閑静で趣のある古い町並み同様、静かに時が流れるような落ち着いた空間で、真摯にお参りするにはちょうどよいところでした。

でも逆に、観光寺院でもないのにこの広い境内と仏閣を維持するのはどれだけ大変だろうと、同業者はそんな心配をしてしまうのですけどね。

つづく(予定)

2023年10月15日日曜日

寺報10月(表)―坊守エッセイ―

実りの秋ですね。お参り先で季節のお花や採れたての野菜や果物など、丹精込められた自家製の作物をお供えされているお仏壇を多くお見かけします。

先日お伺いしたお宅では、葉っぱ付きの里芋をとても格好良くお供えしてありました。
あまりに素敵だったので写真をパシャリ。
家で採れたもので…と恐縮されましたが、心を込めて作った作物をまず阿弥陀さまやご先祖さまにお供えしようというお気持ちこそが何よりのお供物だと思います。

畑でお店でお供物やお花を何にしようかと考えるとき、お仏壇をお掃除したりご仏前を整えるとき、そこに気持ちが動いたときから私たちはもうお仏事の中にあって、仏さまと共にあります。
阿弥陀さまも何処か遠くにおいでになるのではなしに、日々の生活の中においでです。ふとお念仏が口をついて出た時、ふと手を合わせようと思えた時、ふとお寺にお参りしてみようかなと思えた時、もうあなたの傍らにおいでです。
いつもいつも見守っておいでです。

11月13日は願隨寺の報恩講が勤まります。
いつも傍らにおいでになる阿弥陀さまが、その日は本堂でお待ちです。
みなさまの参拝を心よりお待ちしております。
【by坊守】

2023年10月5日木曜日

寺報10月(裏)―住職雑感―

酷暑のせいでしょうか。
鉢植えの朝顔は夏の盛りに成長を止め、早朝の犬の散歩の際に様子を確かめるのですが、花の数は二つか三つほど。
それが9月に入って再び蔓が伸び始めて1.5倍の丈になり、お彼岸の前まで毎朝十以上の花をつけました。

おいおい、新学期が始まってから元気に咲いたんじゃ、子どもたちの夏休みの観察にならないじゃないか・・・と朝顔に突っ込む私(笑)。

「君まさで 見る人も無き 宿としも 知らで咲くらん 朝顔の花」
良寛和尚の弟子・貞心尼が詠んだ歌です。

朝顔はもう貴方が屋敷に居ないことも知らずに花を満開に咲かしているのでしょう。
そんな誰からも見られることのない朝顔の花を私は憐れに思ったのでした・・・という意味です。

学校が始まって子どもたちに見向きもされなくなってしまっても健気に咲き誇る朝顔の憐れ・・・みたいな?。

でも本当は、種を植えて、芽が出て、花が咲くまでで学習は終わりではなく、枯れるまで見届けるのが「いのちの学び」だと思うのです。

2023年10月2日月曜日

讃迎の夕べ♪コンサート

今年も報恩講に引き続いて素敵な演奏会を催します。
素敵な演奏をどうぞお楽しみください。 ♪♪(●^∀^●)♪♪

[日時]2023年 11月13日(月) 午後4時

藪野巨倫(バイオリン) 
京都市立芸術大学大学院音楽研究科修士課程修了。在学中派遣交換留学奨学生としてフライブルク音楽大学留学。映画音楽の吹替演奏や現代音楽試演にも積極的に取り組む。一般社団法人アマービレフィルハーモニー管弦楽団正団員

樽井美咲(マリンバ)
京都市立芸術大学卒業。管打楽専攻首席。卒業に際し京都市長賞を受賞。同大学卒業演奏会、打楽器新人演奏会等に出演。第一回ウーヴェルチュールコンサート最優秀賞受賞。一般社団法人アマービレフィルハーモニー管弦楽団正団員。

2023年10月1日日曜日

報恩講のご案内

私たち真宗門徒が宗祖と仰ぐ親鸞聖人は1262年(弘長2年)11月28日に、そのご生涯を終えられました。 宗祖が果たされたお仕事の大切さを讃え、文字どおり恩徳に感謝し報いるためのおつとめが報恩講です。

ご先祖さまより受け継いできたお念仏、真宗の教えを今一度いただいて、一人ひとりが自らの生活を振り返り、宗祖親鸞聖人の教えの意義を確かめる、一年で最も大切な御仏事です。

[日時]2023年 11月13日(月) 午後2時

[講師]磯城郡川西町 西教寺 成井暁信 師

報恩講に引き続き、「讃仰の夕べコンサート」を開催いたします。


○おみがき講

[日時]2020年 11月4日(土) 午後1時

報恩講の準備として、仏具の一年の汚れを門徒の手で磨き、仏さまへの感謝を表します。万障繰り合わせてご奉仕いただけますようよろしく願い申し上げます。

2023年9月15日金曜日

寺報9月(裏)―住職雑感―

今年の異常な暑さのせいか境内の竜の髭が一部枯れてしまいました。
暑さ寒さに強い草なのに・・・と驚いています。

お参りの際にこの話をすると、うちもうちもと、どうやら自分のところだけではないようです。
温暖化でこのままでは日本の植生が変わってしまいそうで心配です。

そんな心配をよそに、日本がもっと熱くなっても大丈夫そうなのは竹。
竹はインドへ仏跡参拝に行ったときにも見かけました。

ただ、日本の竹と違ってインドの竹は株立ちで、根元から複数の稈(かん)が生えます。
その稈が蘇鉄の葉のように広がって伸びるので、その下に大きな木陰ができ、古来そこが人々の憩いの場所になってきました。

『観無量寿経』に登場した頻婆娑羅(びんばしゃら)王が、教えを説きながら旅をされるお釈迦さまに定期的に留まっていただくために選ばれた場所も、お城から少し離れた静かで心地よい大きな竹林でした。
その場所は四大精舎の一つ、竹林精舎と呼ばれることになります。

王は息子の阿闍世(あじゃせ)に牢に幽閉され殺されるという悲しい最期を遂げましたが、仏法を頼りに最後まで毅然と生き抜かれたそうです。

2023年9月5日火曜日

寺報9月(表)―坊守エッセイ―

お盆行事がひと段落した8月末日、娘と伊勢旅行に行ってきました。
大谷専修学院の修学旅行以来なので実に30年振りのお伊勢参りです。

江戸時代には「一生に一度は伊勢参りに行くべき」と大流行したそうです。
とくに60年に一度の爆発的な流行は「おかげ参り」と言われて数百万単位の人が神宮に押し寄せたそうで、伊勢参宮絵図にはその賑やかな様子が描かれています。

その絵図の中に必ず描かれているのが主人の代わりに伊勢参りをする犬たちの姿です。
この首にしめ縄と路銀の入った巾着をぶら下げた「おかげ犬」達は、伊勢参りの人々や街道沿いの人々から大切にもてなされ手助けをしてもらったそうです。
人々は飼い主の願いを健気に運ぶ無垢な存在を世話をすることで、自らの願いもまたおかげ犬に託したのかもしれません。

福島県須賀川の十念寺には、シロという犬の像が残っています。
シロは病気で伊勢参りできない主人に代わって二か月かけて伊勢参りをして、神宮のお札をもらって帰ってきたといわれています。
我が家のすずちゃんはぼんやりしてますから、そんな大仕事やりとげるなんて絶対無理でしょうね。
【by坊守】

2023年8月20日日曜日

寺報8月(裏)―住職雑感―

高校生の頃から聞き続けてきたミュージシャンが自身のラジオ番組で故ジャニー喜多川氏による性加害問題について語るのを聞きました。

決して性加害を容認しはしないが自分は故人を尊敬しているし恩もある。倫理と音楽は別。そのような自分の姿勢に不満がある方に私の音楽は不要だろう…という主旨でした。

作者の人間性と作品の評価について考え方が異なるのは仕方がないとしても、人権侵害に関しては個人の見解の差で済まされるものではありませんので、彼のミュージシャンとしての姿勢を大変残念に思いました。

加えて残念に思ったのがもう一つ。
不満があるなら聞かなくて結構というのも四十年来のファンとしてはとてもショックでした。

『法華経』に登場する常不軽菩薩(じょうふきょうぼさつ)は、常に「私はあなた方を敬って軽んじません。あなた方はみな、仏になる身なのですから」と語りかけ誰をも礼拝されました。
ときに人に罵(ののし)られ石を投げられることもありましたが、それでも耳を傾けてくださる人にも、そうでない人にも、私の言葉を伝えたいという姿勢を貫き通されました。

あの人にも、そこはそうであって欲しかったと愁(うれ)いつつ、娑婆の人間が菩薩の如くあることの難しさを改めて思ったことです。

2023年8月5日土曜日

寺報8月(表)―坊守エッセイ―

夏もまだまだこれからというのに、「暑いですねぇ~」が挨拶がわりのような今日この頃、皆さま如何お過ごしでしょうか。

日中は外に出るのが躊躇われる程の暑さですが、コロナで中断していた各地のお祭りやイベントが再開されたとのニュースが連日報道されています。

私の身近でもまた一つ夏のイベントが再開しました。
「自分で浴衣を着てみよう!」という中学二年生対象の家庭科の授業です。
着付けの恩師が始めたこの授業、弟子の我々が引継いで十年以上になります。

私はなぜかいつも男子生徒担当なのですが、どの子もこの子も一生懸命に学ぼうとしてくれます。
「俺はやらへん」なんていう子は一人もいません。
慣れぬ浴衣に袖を通し、角帯に奮闘し、お互いに教えあったりしている姿は何と楽しそうなことか!
最後に全員浴衣でポーズをとって記念撮影。
嬉しそうなキラキラした笑顔にこちらまで嬉しくなります。

この学校では中二の夏に浴衣の授業があることを楽しみにしてくれているそうですが、私達の方こそ年に一度、浴衣姿の生徒さん達の笑顔に会えることを心待ちにしているんですよ。
【by坊守】



2023年7月15日土曜日

寺報7月(裏)―住職雑感―

「田んぼの持ち主様へ カエルの鳴き声による騒音に毎年悩まされています。鳴き声が煩うるさくて眠ることができず非常に苦痛です。騒音対策のご対応お願いします。近隣住民より」

え~っ!?でしょ。
ところが近頃はこんなクレームはよくあることのようで……。

でも二年前の同様の訴訟ではカエルの鳴き声は自然の音なのでお咎めなしとの判決が下されています。
当然ですよね。

ちなみに〝自然〟という言葉は元は仏教用語で「じねん」と読みます。
「おのずから」とか「ひとりでに」という意味です。

また、あるがままの様子も意味します。
あなたの思いを超えてこの世界は成り立っているのですという教えが含まれています。

江戸時代に英語の「ネイチャー」の訳としてこの言葉があてられ、海や山といった環境、植物や動物の生態系などで、人間の手が入っていない状態のものの意味で使われるようになりましたが、本来の意味をぜひ忘れないでほしいですね。

ところで、世の中には気の利いた方もおられるようで、冒頭のクレームに対してこんな返信も(笑)。
「田んぼの持ち主様へ ご迷惑をおかけしています。騒音ではなく自然音という司法の判断と皆様の声援を信じてめっちゃ泣きます。カエルより」ケロケロ♪

2023年7月5日水曜日

寺報7月(表)―坊守エッセイ―

境内の隅に置いた鉢植えの朝顔が咲きました。
これは先月、王寺町の明神山の頂上で登山者を吹奏楽の演奏でお迎えする「シルバーウォーク」というイベントに出演した際に参加賞としていただいた朝顔です。

その名の通り、参加者は日々ウォーキングに親しまれている元気なシルバー世代のみなさま方です。
中には杖を使われている方もおいでですが、それぞれご自分のペースで登ってこられます。
初夏の暑さの中でしたが、山頂へと続く遊歩道のほとんどが木陰になっているお陰で、結構快適に登山を楽しむことができるみたいです。

さて、演奏会で一番好評だった曲は『君といつまでも』や『お嫁においで』が入った弾厚作(加山雄三さんの作曲家としてのペンネーム) のメドレーでした。
久しぶりの、しかも青空の下でのコンサートは、演奏させていただいた側もとても楽しむことができました。
やっぱり開放的な場で奏でる音楽はステキですね。

参加賞の朝顔の苗は地元の小学生が育ててくれたものだそうです。
きっと今頃、参加者の皆さんのお庭でも可愛い花を咲かせている事でしょう。
朝顔が一つ咲く度にあの日の青空を思い出して嬉しくなりそうです。
【by坊守】

2023年6月15日木曜日

寺報6月(裏)―住職雑感―

先月、九州の実家の仏さまに手を合わせに帰りました。

お参り以外には特に用事もないので、卒業以来一度も訪れていない高校の様子でも覗いてみようかと思い立ちました。
大学は県外で、就職は東京、寺の娘と付き合って奈良に住んで今に至るのでかれこれ四十年ぶりです。

ちょっとワクワクしながら西鉄電車に乗って最寄り駅に着くと……なにこれ?
ホームに行くのに線路を歩いて渡ってた小っちゃな駅が特急が停まる巨大な高架駅に!
駅から出るとロータリーとビル!
昔はそんなものなかったし、道も変わっていてどっちへ向かえばいいのやら。
母校への道をスマホに頼るしかないとは再開発恐るべしです。

自宅の周りもそうですが、もう懐かしいと思える故郷の風景は残っていません。
あちらへ足を運ぶのは母が生きている間のことで、それすらなくなればきっと帰ることもなくなります。

でもそれは大事なことかもしれません。
帰るところが〝ここ〟しかなくなったときに、ようやく〝ここに生きる〟ものとしての覚悟が生まれます。
それは、浮世に心の逃げ場を求めていたけれど、そのようなものを失って初めて真に仏法に目覚めるようなものかもしれません。

2023年6月5日月曜日

寺報6月(表)―坊守エッセイ―

今年はとても早い五月中の梅雨入りでしたね。
降り続く雨に濡れて願隨寺境内の紫陽花たちが活き活きしています。

先月、京都国立博物館で開催された「親鸞聖人生誕八五〇年特別展『親鸞 生涯と名宝』」に行ってきました。

音声ガイドはルパン三世の次元大介役で有名な声優・大塚明夫さん。
迷わずレンタルしました。

親鸞聖人の御生涯を描いた「親鸞伝絵」や「親鸞聖人座像」など貴重な見どころはたくさんありましたが、やはりお目当ては親鸞聖人御真筆の国宝『教行信証板東本』です。
お手元本と呼ばれたこの本は聖人が生涯お手元に置かれて加筆修正を繰り返されたそうで、数多の朱筆や塗りつぶし等の推敲跡があり、まるで今、聖人の手が離れて墨が乾いたばかりのような生々しさがありました。

大塚明夫さんの低音の美声を聞きながら、聖人の魂の込もった筆跡を追っていると、耳元で親鸞聖人が語り掛けて下さっているようなそんな不思議な錯覚を覚えたのでした。

今更のことですが、本当に生きて実在された方なのだと親鸞聖人の存在を身近に感じるさせていただいた時間でした。
【by坊守】

2023年5月15日月曜日

寺報5月(裏)―住職雑感―

〝 敗北〟…なんとも悲しい現実が耳に飛び込んできました。

国連の世界気象機関は先月、気候変動に関する年次報告書を発表。
世界の氷河が昨年、劇的なペースで溶けてしまったそうで、「われわれは氷河を救う試みにすでに敗北した」との見解を示したんです。

要するに、地球の環境はもう元には戻らない一線を越えてしまったということです。
ガ~~~ン…。

このことで将来、氷を失ってシクシク泣かないといけないのは白熊やペンギンだけではないんですよ。
氷河の融解は北国や山岳地帯で頻繁に洪水を起こします。
海面上昇によりマーシャル諸島のように国土を失いつつある島国もあります。

近くでいえば関空は水没です。
まぁ、大阪湾沿岸や淀川、大和川水域では堤防を高くするんでしょうが、それでも水害に遭いやすくなるのは避けられません。

本気で、みんなで今のライフスタイルを変えていかないと子どもたちに豊かな世界を残せなくなります。

アメリカ先住民の世界観では、現在自分たちが得ている恩恵は未来からの借り物であって、未来に返さなければならないのだそうです。
つまり、自分の死後へ、次世代へ、生前以下の世界を渡してはならないんです。

ぜひこの考え方を見習いたいものですね。

2023年5月5日金曜日

寺報5月(表)―坊守エッセイ―

春を飛び越えて一気に初夏になったかのような日和になりましたね。

この春から新社会人になった友人の娘さんから写真付きの便りが届きました。
畑の中に真っ直ぐに伸びた道の正面には青空に映える見事な富士山!
毎朝、職場がある商業施設まで富士山に向かって自転車を漕いでいるのだそうです。
何と羨ましい日常だろうと思うのですが、彼女は「デカいだけのただの山や」というのです。
始めは「おおっ!」と思ったけど、もう見飽きたと。
慣れぬ仕事でそれどころではなく、ただそこにあるだけの風景の一部になっているのでしょうね。

私は斑鳩に住んでだいぶ経ちますが、大和川方面から小吉田に向かう田んぼ道を通る時、そこから見える斑鳩の風景に何度も感動しています。
新緑の季節の山々、水を張った田んぼ、実りの季節、それぞれにとても美しくって。
細やかな感動ですが、日常の中でそんな恵みを与えてもえらるのって有難いことだと思っています。

新入社員の彼女の生活はまだ始まったばかり。
きっとこれから様々な表情を見せてくれる富士山に助けられる事もあるでしょう。
あなたを取りまく風景に見守られて、頑張れ!新社会人!
【by坊守】

2023年4月15日土曜日

寺報4月(裏)―住職雑感―

WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)、盛り上がりましたね。
特に大谷翔平選手は試合の内でも外でも輝いていました。

中でも私が感銘を受けたのは、チェコ代表の印象を語った「レベルうんぬん関係なく、野球に関係なく、選手としてリスペクトを感じました」という言葉です。

チェコの選手はみな他に職業を持つアマチュア選手です。
ですから技術でいえば日本のトップ選手たちに敵うべくもありません。
しかし、競技に真摯に向かい合う姿勢はプロ・アマ関係なく尊敬に値する人たちだったってことでしょう。

ところで、私たちはそれぞれの職業でプロやアマということはありますが、自分の人生を生きる者としてプロもアマもありませんよね。
自分はアマチュアなんでこんな生き方しかできません…なんて言い訳は通用しません。
どんな人生であろうと真摯に向かい合うことが大切で、そんな人には〝尊さ〟を感じるものです。

実は仏道でも同じことが言えます。僧侶や在家という違いはあったとしてもお釈迦さまや親鸞聖人の教えを大切にして生きるということにおいてはプロもアマもないんです。
自分は自分のフィールドで大谷選手やチェコの選手に負けない生き方をしてまいりましょう。

2023年4月5日水曜日

寺報4月(表)―坊守エッセイ―

例年の開花よりも早めの桜が今まさに満開です。

去年から始まった竜田公園の改修工事は、桜の開花にあわせたかのように三月下旬に終了しました。

早速、愛犬のすずちゃんをお供に出かけてみました。
三室山の遊歩道には手すりや階段が増設されて以前より登りやすくなっていて、展望デッキなんかも新設されていました。

久しぶりに登った頂上では、以前と同じ桜の花が私を迎えてくれました。
心地よい風を感じながらすずちゃんと東屋で休憩していると、鶯の声と、舞い散る桜にはしゃぐ幼い子どもたちの声が聞こえます。

思えばウチの子たちとも小さい頃は毎年ちらし寿司を作って三室山でお花見をしたものです。
そんな我が家の恒例行事も、息子が思春期になるとなかなか参加してくれなくなり、そのうち自然消滅に…。
日々の生活に追われて忘れかけていたそんな桜の記憶のあれこれを思い出しながら、選挙カーの声のする下界へと下山しました。

考えて見れば、同じように見える桜も毎年新しい花を咲かせています。
今年の桜は今年の桜。
私も今の自分を精いっぱい生きましょう。
【by坊守】

2023年3月15日水曜日

寺報3月(裏)―住職雑感―

この記事を書いている時点でトルコ地震の死者は五万人を超えました。
本当に痛ましいことなのですが、別の意味で私がなんとも言えない気持ちになったのは、ある幼い少女の救出の場面です。

瓦礫に挟まった彼女に救助隊が手を伸ばしたときに彼女はこう言いました。
「私と妹をここから助け出してくだされば、私は一生あなたの奴隷となって働きます」

お参りの際にそこのお宅のお子さんに尋ねてみました。「一生のお願い!何でも言うこときくから!って言ったことある?」
「うん」
「じゃあ、その時、奴隷になるからって言ったことある?」
「ない」
「だよね」
そう、無くって健全なんです。

逆に、彼女があんなことを口にしてお願いするということは、彼女にとってそのことがリアリティを持っているということです。

5年前のデータですが、世界には未だ奴隷とされる人が4000万人、児童労働は1億5000万人います。
早くこの状況が改善され、全ての子どもたちが条件など出さなくても助けてもらえるんだとと思える世界になってもらいたいですね。

2023年3月5日日曜日

寺報3月(表)―坊守エッセイ―

春はもうそこまでと思っていたら、急にグッと冷え込んだりしてまだまだ油断できません。

さて、一月から始まった大河ドラマ『どうする家康』。
今ちょうど一向一揆の場面が描かれています。

友人が嫁いだ寺が映るというので見ていますと、踊り子が「進まば往生極楽、退かば無間地獄よ!」と民衆を煽るシーンがありました。

親鸞聖人は「地獄は一定(いちじょう)すみか(住み家)ぞかし」、地獄は私の住み家なのですと仰っておられるのだからこの表現はおかしいと、高校生の時、この件で日本史の先生に食って掛かった事があります。

とはいえ、確かに「進者往生極楽 退者無間地獄」と書いた旗が残されてますから、士気を高めるため、あるいは戦いに参加しないものは地獄に堕ちるぞと脅しで利用されたことは、残念ながら否定できません…。

ドラマの中では家臣に裏切られ疑心暗鬼に苦しむ家康や身近な者との死闘に悲しむ人々の苦悩が描かれています。

生きてゆく為、意地や誇りの為、正しさも愛も欲望もみんな自分の都合でごちゃ混ぜにして、どうにもならないこの世こそ〝地獄〟と親鸞聖人は教えて下さっています。

そうそう友人が嫁いだ寺は番組の最後にチラッと映ったんですよ。
【by坊守】

2023年2月15日水曜日

寺報2月(裏)―住職雑感―

去年の今頃は、まさかこの時代に戦争が始まるなんて有識者ですら思いもしませんでした。

早いものでもう一年、今日もウクライナの人々は極寒の中を苦しみ続けています。
対するロシア兵の中にもきっと自分たちの行いに疑問を持ち苦しんでいる人もいることでしょう。

『法句経』の「すべての者は暴力におびえる。すべての生きものにとって生命は愛しい。己が身にひきくらべて、殺してはならぬ。殺さしめてはならぬ。」というお釈迦さまの言葉が切実に感じられます。

UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)の方の現地レポートの中にこんな一文がありました。
「ミサイル攻撃の後、緊急停電した夜。懐中電灯を照らしながら家へと帰っていたら、周りがみんな空を見上げていて。何事かと思って見上げると、星が本当にたくさん見えた。街があまりにも暗くて、空が変に明るかった。綺麗なのか、悲しいのか、よくわからなかった。」

こうした悲しい状況を作り出す人間の業を嘆かざるをえませんが、同時に、そんな中でも美しいものに感動できる人間という存在に愛おしさも感じるのです。

2023年2月1日水曜日

寺報2月(表)―坊守エッセイ―

十年に一度の寒波とかで一月の下旬はよく冷えましたね。
そんな寒さに負けず本堂の裏では山茶花がこぼれる程の花を咲かせています。

はばかりながら私が講師を勤めさせていただき、客殿をお借りして着付けと和裁のお稽古をしています。
春から単衣を習い始めた方が襟付けを終え、いよいよ仕上げの段階にはいりました。
月一回のお稽古ですが、宿題だけではなく運針の自主練習にも真面目に取り組まれる熱心な方です。

それでも、こちらが予測しない所で躓かれたり、苦心して縫ってこられた宿題を私が全部解くことになってしまったり…。教えるということの難しさをひしひしと感じます。

ですが、ちょっとした事に「和裁の技術って凄い!」と驚いたり感動したりしてくださるときは、とてもやりがいも感じます。

教える側の私にも新な発見があり、何気なくやっている一手一手の意味や大切さに改めて気づかせていただける良い経験になっています。

着付けや和裁に興味をお持ちの方、ご一緒にお稽古しませんか?

【by坊守】

2023年1月10日火曜日

寺報1月(表)―坊守エッセイ―

あけましておめでとうございます。

新型コロナウィルスの名を聞いてから三回目のお正月になります。あの頃はお隣の国で流行している病気が日本にも入ってくることに不安を感じつつも、数カ月くらい経てば終息して、夏になればオリンピックがあるんだろうなと思っていました。しかし、あれよあれよという間に全国に感染が広まりもう三年…。

コロナの感染者数は高止まりの状況ですが、自粛されていた事が徐々に再開され、以前のような社会生活が取り戻されつつあります。

願隨寺でもお磨き講には沢山のご参加を頂き、報恩講コンサートも再開されました。けれどコロナ前の社会生活に完全に戻る事はありません。

仏事も行事も「元に戻る」のではなく、これまで守られてきた伝統や想いを大切にしながら、時代に合った形で新たに始める覚悟がいるのだと思います。

願隨寺の阿弥陀様の前にたくさんのご門徒様がお集まりいただけるよう勤めてまいりますので、どうぞ皆様のお力をお貸しください。

【by坊守】

2023年1月3日火曜日

寺報1月(裏)―住職雑感―

新年明けましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

年賀状に添えた言葉は、平安時代末期に編纂された『千載和歌集』の中の一首です。
詠み人は九条兼実。摂政・関白として朝廷と源頼朝の間に立ち難しい政局に当たった優れた人物でしたが、反兼実派によって失脚した後は、親鸞聖人の師の法然上人を戒師として専修念仏の門に入りました。

「人ごとに変るは夢の迷ひにて覚むればをなじ心なりけり」の歌は、仏教がお題になったときに、平等性智(等しさを見抜く智慧)を兼実が詠んだものです。

詞書(歌を詠んだときの註釈)によると、人の心の良し悪しは見る人の勝手な想いであってその妄夢から覚めればみな同じであるという意味になるそうです。

ても、歌というものは各々の鑑賞もアリですので、文面そのまんまですが、昨年からのウクライナ情勢のこともありますし…
煩悩に迷い各々の望みは異なろうとも大事なことに気づいてみれば本当に願うこと(例えば平和)はみな同じ。自分の正義、煩悩への囚われから目覚めて本当に大切なことを共にいただいてまいりましょう。
…という鑑賞もいいかなと思い、年賀に添えさせていただきました。