2020年2月29日土曜日

いただきます

住職の岡山出張のお土産で、一昨晩は御馳走でした。


大きなシマアジとイカとサザエ。
シマアジは三枚におろしてお刺身とアラ煮に。
イカはお刺身と住職リクエストのゴロ焼きに。
大きなサザエはつぼ焼きに。

シマアジの大きさに手こずりましたが、とっても美味しくできました。
それどれの命のお手柄です。
【by坊守】

2020年2月28日金曜日

「奈宗連」2019年度 宿泊研修会(二日目)

奈宗連(差別をなくす奈良県宗教者連帯会議)の宿泊研修会の二日目は、予定していた邑久光明園での行事がなくなったので、朝からまったり・・・。
思い思いに愛生園内を散歩することができました。


園内を見て回ると、奈宗連で植えた桜も随分と大きくなっています。
例年、植樹のために冬場に来ていましたが、来年度は自分たちが植えた桜が咲いているところを見に、花見の時期にここへ来るのもいいかもしれません。


帰り際に事務所によると、去年まで事務スペースだった一角がお洒落なカフェになっていました。
一緒のテーブルに座って窓の外の景色を見ていた他宗の僧侶の方が、「こうやって眺めていると、ええとこですよねぇ・・・。でも、来たいときに来れるからそう言えるんであって、無理矢理ここに居続けさせられるとなると、そうは言えんでしょうねぇ・・・」としみじみ。
確かにそうですよね・・・。

さて、帰りには水産物のお土産を買える道の駅に寄ることができました。
これも美味しそう♪あれも美味しそう♪
よし、これとこれとこれにしよう!
お母さん、帰ったら頼むで~♪

2020年2月27日木曜日

「奈宗連」2019年度 宿泊研修会(初日)

奈宗連(差別をなくす奈良県宗教者連帯会議)の宿泊研修会に参加してきました。

毎年この時期、ハンセン病の国立療養所長島愛生園を訪ねています。
この10年、療養所への桜の植樹を行っていましたが、作業に一杯一杯で研修や交流会に十分な時間が割けないことへの反省から、今年は植樹活動には一区切りつけて、新たな形での宿泊研修会を企画していました。

ところが最近の新型コロナウィルスの流行。
開催はどうなることかと心配していると、二日目に伺う予定だった邑久光明園からは来園のお断りがありました。
真宗大谷派のハンセン病問題の委員会にもその旨の連絡がありましたし、みなさん高齢者ですから無理もありません。

愛生園はどうするのだろう?と思い続けている内に当日を迎えます。
集合場所で事務局に経緯を聞くと、判断はそれぞれの園長が行うので、対応は異なるとのこと。
晩に行った交流会に愛生園の園長さんも参加してくださり、今回の判断の難しさと共に、ハンセン病を学びに来園する人たちへの熱い思いを語ってくださいました。
ご高齢だからこそ、機を逃すと次がないかもしれませんし・・・本当に難しい判断だったと思います。


さて今回の私はメモや写真を撮りまくり。
それと言いますのも、この4月から奈宗連の運営を真宗大谷派が担うことになっており、その責任者が私なんです。
ですから、来年行うときの参考にと記録を取るのに必死でした。


こういう時の反省として、進行や全体の様子が気になってしまい、目の前のことが疎かになってしまうということです。
例えば、せっかく横に座ってくださった方とのお話し中に余所見をしてしまうとか。
でも逆に、目の前のことに集中していると、ハッ!今どういう状況?ということにもなって・・・。
これもまた悩ましい問題です。(o´д`o)=3

2020年2月25日火曜日

手作りマスク

コロナウイルスのせいで入手困難になってしまっているマスク。
いつまでこの状況が続くのかわからないので、今あるマスクを節約するためにガーゼのマスクを手作りしました。

普通のガーゼマスクは洗って使えるのが利点ですが、使い捨てのサージカルマスクよりもキメが荒く、ウイルスまでは防げないそうです。


なので使い捨てマスクをフィルターとしてガーゼマスクの中に縫い込む事を思いつきました。
洗濯した時に効果が落ちるかもしれないけど、無いよりはましなのではないかな?


作り方に興味のある方は願隨寺坊守まで~。
【by坊守】

2020年2月23日日曜日

正信偈のお話 十五⑫

道綽決聖道難証 唯明浄土可通入
万善自力貶勤修 円満徳号勧専称

前回道綽(どうしゃく)が生きた同じ時代の西欧、中近東の歴史的状況をお話しました。一方、その頃の日本はというと、ようやく朝鮮の百済から仏教が伝わってまだ間もない頃です。そして仏教に対する賛否をめぐり、大陸の優れた宗教として導入を目指す蘇我氏と、異国の神として排しようとする物部氏が対立。五八七年、丁末(ていび)の乱が起き、蘇我氏によって物部氏は滅ぼされます。そして、五九二年から聖徳太子が推古天皇の摂政となって新政がしかれ、天皇を中心にした中央集権でかつ、仏教を尊ぶ宗教国家の方針が、「十七条憲法」によって示されたのでした。

2020年2月20日木曜日

御門徒さんから立派なお野菜をいただきました

「こんにちは!」
御門徒さんのご主人が自家製の立派な大根とレモン、それと里芋を届けてくださいました!


里芋は娘の大好物です。
それに大根とレモン。
これはもう「大根のレモン漬け」を作るしかありません!


数年前に御門徒さんの奥さんから教えてもらったレシピを今でも大切に使わせて頂いております。
漬けて3日目から食べられます。
たのしみ~♪
【by坊守】

2020年2月18日火曜日

研修旅行「潜伏キリシタンの史跡を訪ねる」④出津教会

次に訪れた出津教会もド・ロ神父が建てた教会です。


1876年に出津に赴任してきたド・ロ神父の前任のペルー神父は藁葺きの家を住まいとし、そこを仮聖堂として布教活動を始めました。
これまで信仰を公にはできなかった信徒さんたちにとって、自分たちの教会ができたということはどれほどの喜びだったことでしょう。

そして3年後の1879年、外海地区の次の司祭として赴任してきたのがド・ロ神父です。
ド・ロ神父はさっそく自身の設計・施工による教会の造営にとりかかりました。
集落の人々は労働奉仕を惜しまず、その協力によって3年後の1832年に完成したのが出津教会です。

そしてこれが、貧しく辺鄙な陸の孤島に生涯を捧げ、信徒さんたちからド・ロさまと親しまれた神父さまの物語の始まりでもありました。

順番が逆になりましたが、先に訪れた大野教会も1893年、26戸の信徒のために出津教会の巡回教会としてド・ロ神父によって建てられたものです。
【つづく】

2020年2月15日土曜日

寺報2月(裏) ―住職雑感―

大阪の一心寺さんは宗派を問わず納骨を受け入れることで有名になり、大きくなってこられました。
しかし、そんな一心寺さんもとうとうギブアップ! 
来年から胴骨の納骨や改葬納骨はお断りするのだそうです(小骨は今後も可とのこと)。

原因は近年増加している「墓じまい」「墓出し」のせいです。
お墓はいらないからということで全部のお骨を持ち込む人。
もう地元には帰らないからとお墓を始末して埋葬していたお骨を持ち込む人。
そういう人があまりにも増えすぎて限界に達してしまったようです。

「墓じまい」のことは聞いてはいたものの、そこまで急激に増えているとは・・・。
えらい世の中になってしまったものです。

でも一心寺さんも一心寺さん。
これまでは各宗どこでもお越しやす♪だったのに、一転、これからは条件から外れる方は「各宗本山にご相談ください」って・・・。
釈然としないところはありますが、何かありましたらどうぞご相談ください。

2020年2月12日水曜日

研修旅行「潜伏キリシタンの史跡を訪ねる」③大野教会

さぁ、長崎に到着しました。
一行と合流しフィールドワークの始まりです!

前日の晩に到着していた他の人たちは、午前中は真宗大谷派の長崎教務所を訪れ、駐在さんから原爆と部落とキリシタンの関わりについてお話しをうかがうことになっていました。
とても勉強になったそうで、聞けなかったことがすっごく残念・・・。

さて、フィールドワーク最初の場所は大野教会です。


「大野は、1599年の平戸領主松浦氏の弾圧で長崎に亡命したキリシタン籠手田一族にゆかりあると伝えられる地。1893年、信徒のためにド・ロ神父が設計し、私財を投じて信徒とともに石造りの教会を建てた。」とのこと。

大野教会は平屋建、瓦葺きの教会です。
鬼瓦が十字架になっているのが見えます。
外壁は玄武岩の切石を当時としては珍しい簡易的なセメントで固めた壁となっています。
外海に面した雨風が強い場所に建っているので、木造ではなく、こうした作りの建物にしたそうです。 

「この壁をどろ壁というんです」
そう言うガイドさんの説明に、内心、どのへんが泥壁なんやろう??と。
そんな心を見透かすように、続く「ド・ロ神父が設計されたので、この辺りのこうした壁をド・ロ壁と呼ぶようになったんですよ」との説明に、一同「あ~っ!」
なんや、みんなそう思ってたんかい(笑)。

と、全く話がそれますが・・・。
駐車場でガイドさんからお話しをききはじめた際、そこから海の方を眺めると沖合に見えた池島は、エネルギー関係の技術者をしていた私の祖父が一時務めていたところです。


幼いときに訪ねたことがあると母から聞いたことがありますが、記憶にはありません。
ですが、好天のお陰でその池島がよく見え、懐かしくないくせになんだか嬉しく感じました。(*^-^*)

話を戻しますと、今回訪れた外海地区の教会はいずれも先に名前が出ましたド・ロ神父との縁が深い教会です。


マルク・マリー・ド・ロは1840年に生まれたフランス人宣教師です。
1868年(慶応4年)6月に来日し、長崎県西彼杵郡外海地方(現・長崎県長崎市外海地区)において、キリスト教(カトリック)の布教活動の傍ら、貧困に苦しむ人達のため、社会福祉活動に尽力されました。

今回のフィールドワークは、そのド・ロ神父を知る旅だったといっても過言ではありませんでした。
【つづく】

2020年2月9日日曜日

研修旅行「潜伏キリシタンの史跡を訪ねる」②旅路

坊守の導師デビューをご門徒さんに了解していただき、お通夜までは私が勤めて、翌日の早朝にフィールドワークに間に合うように寺を出る段取りになりました。

長崎で午後12時のレンタカーの予約なので、朝6時には寺を出なければなりません。
剃髪の私は頭を剃るのに結構時間がかかるので逆算すると5時起きです。
早めに寝なければと布団に入っているところに、1時半に揺り起こされました。
「もう一回、七条の着方教えて~」
くぅ、この時間にかぁ・・・と思いましたが、明日頑張ってくれるわけですし、寝るのは新幹線の中でしょうがない・・・と再び特訓。
そうした努力のかいもあって、坊守は無事葬儀をやり遂げてくれたようです。

さて、たまに法事やなんやらで実家に帰りますが、いつもは博多で降りて、西鉄で実家の最寄り駅で降りるのみ。
九州まで帰っても他に立ち寄ることのない25年でした。
その間に新幹線は鹿児島まで延び、今回初めて博多より先まで新幹線に乗ることになったのですが、あまりの時短にびっくり。
博多から鳥栖まで在来線で40分だったのが、新幹線だとたったの12分!12分!
子どもの頃との時代の変化をまじまじと感じました。


ところが・・・新鳥栖駅で乗り換えのために新幹線を降りてみると・・・時代の変化はどこ?
めっちゃ田舎やん!なにこの、ポツンと立派な駅。
駅の真ん前の広場でおじいちゃんたちゲートボールしてる・・・。


在来線のホームに立つとなおさら田舎感。
でも、この感じは昔とあまり変わらなくてホッとするなぁ~。

まったりとしているところへ特急かもめがホームに入ってきました。
これにも初めて乗ります。
こちらは時代の変化あり。
同じ特急でも昔とは大違いで、外観だけでなく中も新幹線以上にお洒落です。


昨晩のことがありましたので、もう少し特急の中で寝るつもりでしたが、ついついず~っと車窓に張り付いてしまいました。
鳥栖~佐賀間はよく電車に乗った区間ですので懐かしさがひとしおです。

佐賀から先の電車を利用することはなかったのですが、学生時代、友だちと車でよく走りましたので、景色を眺めて、あぁこんなんやった・・・と思い出に浸る一時。

そういえば、今の若い人たちって友だちとドライブとかあまりしないみたいですね。
それだとこういう旅の楽しみもないわけですし、随分ともったいない気がします。


列車は有明海の縁を南に下り、その間車窓からはずっと干潟が見えます。
西に方向を変えると、今度は雲仙岳が見えてきました。
雲仙も何回か友だちと遊びに行ったところで、また懐かしさにジ~ン。


もうこれだけで無理を押した甲斐があった気がします。(*´∀`*)
【つづく】

2020年2月7日金曜日

初めてのお葬式の導師

人の死はいつも突然訪れます。

住職は、お葬式の一報が入ればあらゆる予定を調整してご葬儀に備えます。
それでもごくまれに、どうしても都合がつかなかったり、他と用事が重なってしまう事があります。
今回がそうでした。

これまで住職が不在の葬儀の場合、隣寺の住職さんに導師をお願いして、坊守である私は脇僧として立たせていただいておりました。
けれど今回、施主さんのご了解を得て坊守が一人でお葬式を勤めさせていただく事になりました。

私も住職と同じように得度を受け教師資格も取っておりますので、僧侶として法要を勤める事はあったのですが、ご葬儀の導師は初めての経験です。
七條袈裟の付け方から式中の作法、鳴り物の打ち方、勤行、葬儀社さんとのやり取り等、住職から様々なレクチャーを受けて臨みました。


とても緊張しましたが、特訓の甲斐あって恙なくお勤めすることができ、換骨初七日の法話を終え、ご遺族の皆さんとお話しをする頃にはやっとホッとしました。

不慣れな私を受け入れていただき、初導師のご縁を喜んでくださった喪主様に感謝いたします。
ありがとうございました。
【by坊守】

2020年2月6日木曜日

研修旅行「潜伏キリシタンの史跡を訪ねる」①段取りしました・・・ところが

私の所属する現代法話研究会「獅子吼の会」で研修旅行に行ってきました。
向かった先は長崎。

一年ほど前の例会の後に食事をしている席のことです。
潜伏キリシタンの関連施設が世界遺産に登録されたことを機に遠藤周作原作の映画『沈黙』を観た会長が篤く語り始めたのがきっかけでした。

あまり周りは興味を示していなかったのですが、私は映画を観ていましたし、長崎に住んでいたことがあり、向こうで聞きかじったことを話しましたら、じゃあ行こう!と会長が言い始めまして。
長崎の土地勘があるのならと私が研修旅行の幹事になるはめになってしまったのでした。

そんなこんなで、日程を考え、ただ観光程度に見て回っても学習にならないので奈良の神父さんに教えていただいた長崎巡礼センターを通して向こうでのガイドを手配して、レンタカーを予約し、旅行スタッフに抜擢された三人の内の一人にホテルと旅券の手配を指示し、もう一人に大谷派の長崎教務所を訪問する段取りを任せ・・・。


・・・と、これだけ準備に手間と時間を費やしたのに・・・なんとお葬式ができてしまいました!
亡くなられる方に日時は選べません。
こればかりはお寺の宿命です。仕方のないことなのです・・・。

でも、幹事の責任もあるし、これだけ段取りして行けないのも残念だなぁ・・・と。
なので今回、喪主さまのご一家のご厚意により、願隨寺の新たな可能性の扉を開きました!
それは・・・。
【つづく】

2020年2月2日日曜日

寺報2月(表) ―坊守エッセイ―

先月から『病室で念仏を唱えないでください』というドラマが始まりました。
僧籍を持つ救命医の目を通して現代人の生死感を描く…とのことで録画して観ようと思っています。

世間一般には「僧侶と病院」というテーマはちょっと違和感のあるものなのですね。
そう言えば病院や老人福祉施設では法衣姿でのお見舞いを断られることがあるそうです。

法衣姿は「死」を連想し、ナイーブになっている患者さんを刺激しないようにという配慮なのでしょう。
でも今月の言葉の通り「生のみが我らにあらず 死もまた我らなり」と思うのですが。

さて、「吸ふて吐き 吸うて吐きつるこの呼吸(いき)の ただごとでなき このただのこと」歌人の西川和榮先生からいただいたお便りに書かれていたお歌です。

西川先生は出る息、入る息さえ自分の力でしているのではなく「向こう様のお仕事」と仰がれます。
2月14日、大和大谷別院に西川先生をお招きして聞法会を行います。
ご一緒に聴聞いたしませんか?
【by坊守】