2019年1月29日火曜日

正信偈のお話 道綽決聖道難証①

道綽決聖道難証 唯明浄土可通入
万善自力貶勤修 円満徳号勧専称


道綽(どうしゃく)、聖道(しょうどう)の証しがたきことを決して、ただ浄土の通入(つうにゅう)すべきことを明かす。万善の自力(じりき)、勤修(ごんしゅう)を貶(へん)す。円満の徳号、専称(せんしょう)を勧む。

(意訳)道綽禅師は、仏教の歴史を深く学び、今や聖者の道ではさとりを得ない、棄てるほかない、と決断して、ただ仏の願いの国、浄土に生まれる道を通じて、さとりに入るべき門が開かれていると明かされました。
多くの善を積み、自力の行を勤めても無駄であり、むしろ願いの徳円(まど)かな仏(みほとけ)の名(みな)をただひたすらに称(とな)えよ、と勧められます。

2019年1月26日土曜日

ハンセン病問題を共に学ぶ一泊研修会交流会

今週21日から22日にかけて、「ハンセン病問題を共に学ぶ一泊研修会交流会」に参加してきました。
21日は香川県高松市の大島青松園において、22日は岡山県瀬戸内市の邑久光明園において、入所者のみなさんと交流させていただきました。


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また、大島青松園では自治会副会長の野村宏さんより貴重なお話しを拝聴することができました。

いくつも心に残ったことはあるのですが、その一つが、ハンセン病の治療薬プロミンは昭和18年にアメリカで開発されたのですが、当時アメリカとは戦争中であったため日本では使えなかったということです。
野村さんのお話しの中では薬に関するワンフレーズに過ぎませんでしたが、戦争というものが戦闘とは直接関係ないないところでも命に関わる大きな災いとなることを改めて感じさせられました。


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上の写真は大島青松園から見た西の海です。
野村さんの時代、1年や1年半で治るからと言われて入所してみれば、二度と帰ることができないことを知り、多くの人が船で渡ってきた西の海を見ながら浜辺で泣いたそうです。

他にもたくさん心を打つお話しがありました。
そちらは『銀杏通信』のハンセン病問題を共に学ぶ実行委員会の記事に上がっていますので、そちらもご覧ください。

2019年1月23日水曜日

インフルエンザにかかってしまいました・・・

インフルエンザA型に感染していました。

あれ?ちょっとしんどいかな?と思い始めて、寝てれば治るだろうと思っている間にどんどん悪化、病院に行った時には既にかなり重症でした。

病中は主にバナナくらいしか食べたくなくて薬を飲むために無理やり食べるという感じ。
寝ていても体が痛くて、とても辛かったです。
ちょっと回復してきた時に何か食べねばと思い娘に頼んで作って貰ったのが、こちらのミネストローネです。


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結局1週間ほど寝込んでしまいました。
皆さん!くれぐれもお早い受診をお勧めします!
     【by坊守】

2019年1月20日日曜日

寺報1月(裏) ―住職雑感―


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前回の大阪万博のシンボル、太陽の塔。
当時、過激派が太陽の塔を爆破しようと計画したことがあったそうで、新聞社が制作者の岡本太郎さんにコメントを求めると、「そりゃ、一度作ったものはいつか壊れるよ」と全く気にしませんでした。
創るときは全身全霊を傾けるが、後はなるようになるものだというお考えだったようです。

岡本太郎さんの言葉は正に仏教の「諸行無常」を表しています。
「諸行無常」という言葉は、世界のあらゆる存在は様々な原因や縁によって姿をなしているもので、絶えず変化し続け、決して永遠のものではないという意味です。

逆にだからこそ、限りあるいのち、そして今日という日の尊さがあります。
「諸行無常」に身を任せるしかない人生ですが、岡本太郎さんのように、瞬間、瞬間、今に全存在をかけて燃焼する。
そんな一年にしてみたいものです。٩( ‘ω’ )و

2019年1月18日金曜日

お東の焼香作法

昨日はお焼香の話をしましたし、せっかくですのでお東の作法を載せておきましょう。
以下、真宗会館の記事を転載いたします。

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法事や葬儀の際、焼香のご案内がございます。
焼香の作法は宗派によって異なりますので、ご自身が信仰されている宗派の作法にしたがって行ってください。
真宗大谷派(東本願寺)では次のような作法で焼香をいたします。


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①仏前に進み、ご本尊を仰ぎ見ます。※この時は合掌はしなくても結構です。
②焼香は二回です。香盒(お香の入れ物)から右手でお香をつまんで香炉に入れてください。その際に、つまんだ右手を額に当てる(押しいただく)ことはしなくて結構です。
③入れ終わったら、乱れた香盒のお香を右手の指の平で均したあと合掌し、念仏を称えます。
④合掌を解き、頭礼します。終わり次第、もとの席にお戻りください。

2019年1月17日木曜日

前の人も左の人も違う所作・・・

『NHK短歌』でこんな歌が選ばれていました。
前の人も 左の人も 違う所作の お焼香なり 次は吾の番


作法が気になって落ち着かない様子がよく表されていますよね(笑)。
でも、せっかく会葬に訪れているのに、故人を思って手を合わせることよりも、そちらが気になってしまうのは本末転倒です。(^-^;)


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先日、友人のお父さんが亡くなられ、葬儀の段取りをしている彼から、LINEでこんなメッセージが届きました。
「何をしていいのやらわかりません」「そわそわそわそわ落ち着きません」

「しなきゃならないことに終われる葬式って、本来どうなんだって常々思うんですよね。(๑´•ω•)۶” ぼ~っとしみじみしててください。」と返しました。

大切な人を亡くして気が動転して、どのように故人を送ればよいのか分からなくなってしまうから“形”を作ってそこに心を入れるようにするのが作法です。
ですが、形を整えるのに囚われて心を入れる余裕を失ってしまっては、やはり本末転倒です。

最近の葬儀は簡略化とともに形式化がいよいよ進んでいる気がします。
簡略化したのなら、その分、余裕ができるはず。
その分、故人と自分に向き合えるはず。
そこを是非大切にしていただきたいと思います。

2019年1月14日月曜日

西本願寺の報恩講

真宗本願寺派(西本願寺)の報恩講へ行ってきました。
お西さんの報恩講は初めての経験です。

親鸞聖人が往生されたのは⒒月28日で、お東は新暦でその日をご命日としています。
一方、お西さんは旧暦でその日に当たる頃、1月16日をご命日としています。
ですので報恩講がこの時期なんです。


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東と西の違いはいくつもありました。
①先ず、お堂の中での撮影が可能なこと。
うちも撮影可でもいいんじゃないかな~と思うんです。
阿弥陀堂は仏さまのおいでになるところですので「ご遠慮ください」でいいんですけど、御影堂は親鸞聖人の廟ですし、気取らなくてもいいと思うんです。
ただ、スマホのマナーの問題がありますからねぇ。
多くの人がスマホを掲げて、法要をただの催し物のように撮影しまくられるところを想像するとイイ気持ちにはなりません。
その点、お西さんの参拝者はみなさんお行儀がよかったです。
あれぐらいならOKなんだけどなぁ。

②参加型
お東のお勤めはプロフェッショナルが荘厳な感じでやるのですが、お西さんはご門徒さんも一緒にお勤めするようなスタイルでした。
どちらがいいとは言えませんし、お東も参加型の法要を取り入れたりしているのですが、もっと広げてもいいかなと。


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③合理的
これはちょっと驚いたことです。
お東では一つのことを終えてから次の準備を始めるのですが、お西さんは外陣で挨拶や行事が行われている後ろで、次の準備で人がうろうろしたり、内陣でのお給仕が行われていました。
前の行事が終わったらすぐに次の行事が始められるわけですから合理的っちゃあ合理的なんですが・・・。
どうも気になってしまうのはうちらだけかな?
一般の方は別になんともないのかな?

他にもいくつかありますが、今回はこの辺まで。
なかなか新鮮でしたので、またお参りしてみます。(^ー^)ノ

2019年1月12日土曜日

インド仏跡参拝2018 カシミール編①到着スリナガル

今回のインドの旅は、インド最北、カラコルム山脈の麓のジャンムー・カシミール州。
元はジャンムー・カシミール藩王国という国でした。

民族や宗教が地域毎に分かれていて、カシミール渓谷地域はムスリム、ジャンムー地域はヒンドゥー教徒、ラダック地域は仏教徒が多いところです。

私たちが飛行機で入ったのはカシミール地方のスリナガル。
標高は1730mで、鳥取の大山と同じくらいの高さです。
ここから標高3650mの旧王都レーまで四日かけて向かいます。


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スリナガルはカシミールの水の都といわれ、イギリス統治時代は避暑地、それ以前ですとムガール帝国の王様が愛したといわれる美しい都です。

確かに、大きな湖を囲むように町が広がり、水と緑に恵まれて美しく、これまでのインドの旅にはない爽やかな気候でした。


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あと、きれいなところだなぁと思えたもう一つの理由が、道端にゴミがなかったことですね。
いや、これって当たり前ではないんですよ。(^-^;)
インドの町はどこもゴミだらけといっても過言ではありませんから・・・。
なんか、そんなところにも感動してしまいました。
下の写真ではその違いがよく分からないでしょうけど、ホント全然違うんですよ。
     【つづく】


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2019年1月9日水曜日

修正会の法話に思う

お正月が明けてあっという間に一週間以上が経ちました。
いまさらですが修正会のご報告です。


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住職の新年の挨拶では諸行無常について「幸せも変わってゆくもの」と話しがありました。
若い時の幸せ、結婚して子どもができてからの幸せ、子供たちが巣立ってゆく幸せ。
時代や周りの環境だけでなく、自分自身も変わってゆくのだと思います。

自分は変わっていないつもりでは、その時々の幸せを見逃してしまうかもしれません。
何か気に入らない事が起こってくると、自分が大切にしている思いや都合ばかり考えてしまいがちですが、心の中に「果たしてそうかな?」と一呼吸置ける余地を残しておきたいと思いました。

子ども達が成長し、今まで当然だと思っていた家族の生活が一変するようなことが起こってくるかもしれません。
変化に置いてきぼりにならない自分でいたいです。
     【by坊守】

2019年1月7日月曜日

七草がゆ

春の七草、新春の野に出て積んでくるのが本来なのでしょうが、近年の七草はスーパーで買う方が一般的ですね。

せり・なずな・ごぎょう・はこべらほとけのざ・すずな・すずしろ。
買ってきた春の七草にはそれぞれのいわれも書かれていて勉強になります。


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せり:若葉が伸びる様子が競り合っているように見えることから。
なずな:撫でて汚れを取り除くという意味から。
ごぎょう:仏の体を意味するといわれる。
はこべら:茎に芽がたくさんついている様子から繁栄を意味する。
ほとけのざ:茎の付き方が仏の蓮座に似ていることからそう呼ばれる。
ずずな:カブの古い呼び名で紙を呼ぶ鈴を意味する。
すずしろ:大根の事でその色から潔白を意味する。


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朝から七草がゆを炊いていると、いつもはお粥さんなど見向きもしない住職が、「お、七草がゆか。食べとくか」と一椀持っていきました。
今年も健康でありますように。
     【by坊守】

2019年1月5日土曜日

寺報1月(表) ―坊守エッセイ―

pht_blg_190105.jpg最近では自宅でお節を作らずに百貨店の豪華なお節を購入されるお宅や、そもそもお節は用意しないというお宅も多いのだとか。

おせち料理の起源は神様に収穫を感謝する「節供」で、奈良時代から平安時代にかけて宮中で「御節供」として振る舞われた物が、江戸時代には大衆にも正月料理として広まり、料理一つひとつに意味が込められた現代の形になったようです。
普段は口にできない縁起物のご馳走を大切な人たちと一緒に食べる大切な行事として根付いていったのですね。

毎年、私は竹輪で作った門松を作ります。
そして、「だいだい(代々)マメに数を取る」と言いながら大根のお漬物、黒豆、数の子を順におてしょに取るのが私の実家でお節を食べる時の習わしです。

真宗らしくはありませんが、ささやかな縁起物と縁起担ぎに、願隨寺の阿弥陀様も、お正月だけは微笑んで許してくださるんじゃないかなぁ(笑)。
     【by坊守】

2019年1月1日火曜日

年賀状

謹んで新年のお祝辞を申し上げます。
旧年中はひとかたならぬご厚情を賜り、誠にありがとうございました。
世の移り変わりの激しい中、変わらぬご法縁をいただいておりますご門徒のみなさまには厚く御礼申し上げます。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。