2024年6月15日土曜日

寺報6月(表)―坊守エッセイ―

 田植えを待って可愛らしい稲の赤ちゃんがベビーベッドのような苗代で元気に育っています。そんな田んぼの一画に、そこだけ季節を先取りしたような麦畑が実りの時期を迎えています。

 もう三十年近い昔になりますが、住職と結婚して初めて訪れた福岡はまさにこの季節でした。どこまでも広がる黄金色の麦畑をみて驚く私に住職は、麦が実るこの季節を「麦秋(ばくしゅう)」というのだと教えてくれました。福岡の麦畑はそれまで見たことがないくらい広くて、六月なのにそこだけ秋が広がっているような不思議な光景だった記憶があります。

 当時の私が知らなかっただけで「麦秋」は初夏の季語ですし、気象や動植物の変化で暦を示す「七十二候」では五月三十一日から六月四日が「麦秋至(むぎのときいたる)」にあたるそうです。そうした言葉ができるくらい麦もお米と同じように昔から私たちの生活の伴侶だったんですね。麦も美味しいですもんね。

 「麦秋」の次は「田水張る」。ここまで天候不順が続いてきました。自分本位な思いとはわかっていますが、豊かな実りがありますようにと、どうぞ良い雨、良いお天気をと願ってやみません。

2024年6月1日土曜日

今月の表白 六月

敬って阿弥陀如来の御前に白して言さく。源信僧都 歌に詠んで曰く。「おほぞらの 雨はわきても そそがねど うるふ草木は おのがしなじな」すなわち み仏の恵みは衆生に等しく注がるるも 報謝の心は千差万別なり。願わくは梅雨の愁いの中にも仏恩を思い、念仏もろともに謹みて聖教を読誦し奉る。

 草木の種類や育つ環境は様々ですが、雨は地上の草木を選り好みして降ることはありません。
 同様に人も各々の能力や性格、生活が異なりますし、信心の深さも異なります。それでも仏さまは教えを授かる気の有る無しにかか
わらず全ての人に届けようとされ、その慈悲も分け隔てはありません。

 さて、源信僧都は奈良の當麻に生まれ、利発さを見出されて比叡山で学ぶことを勧められ、九歳で仏門に入り、十五歳で天皇に講義をしたと伝わるほどの天才でした。
 その天才が「妄念はもとより凡夫の地体なり。妄念の外に別の心もなきなり。」と、煩悩に誘われ迷う心は誰彼の差なく凡夫である私たちにとって本来的なものであり、外に特別な心、智慧、才覚など持ち合わせていないのです。そんな自分が人としてあるべき道を歩むには、私たちを分け隔てなく導き救いとってくださる阿弥陀如来と、如来が与えてくださったお念仏を頼りにするほかにないのですと自覚されました。

 どうでしょう。源信僧都ほどのお方が私を育むために注がれる〝おはたらき〟なしには生きていけません、そのことに感謝せざるを得ませんとおっしゃるのでしたら、私たちもそれに習うしかなくないですか。

2024年5月24日金曜日

27組門徒会研修旅行2024 ~ 蓮如上人ゆかりの福井・吉崎を巡る旅(後編)

旅行へ出かけてもいつもの時間に起きてしまいます。朝6時日課の犬の散歩へ愛犬ぬきで出かけました(笑)。
あわら温泉は田んぼの真ん中で井戸を掘ったら温泉が出て温泉地になったとのことですが、本当に周りは見渡す限りの田園地帯で、早朝の散歩にはのどかでいい感じのところでした。


散歩の途中、田中温泉薬師神社というところを見つけました。知り合いの吉野の金峯山寺のお坊さんが「その土地、その土地に行ったら、そこの氏神さんにお参りしましょう」と常々おっしゃられるのを思い出して手を合わせていくことに。あちらは神仏習合、真宗は神祇不拝ですが、通りかかったのも何かのご縁と思いましてパンパンと。


朝食を済ませ、「ホテルまつや千千」さんを後に。さあ二日目の研修の始まりです。


まず向かったのは「吉崎御坊(吉崎東別院)」です。


真宗では毎日のお勤めの際に『正信偈』の後に『御文』を拝読しますが、その『御文』を書かれたのが、浄土真宗中興の祖・蓮如上人(1415~1499)です。
蓮如上人はお念仏の布教を活発に行ったため、それを快く思わない比叡山延暦寺衆徒による本願寺破却にあいます。命からがら布教を続けながら各地を転々とされ、文明3年(1471)にこの地に坊舎を建てたのが吉崎御坊の起源です。
現在の本堂は延享4年(1747)に建立されたものだそうです。

本堂でお参りした後、ご門徒さんがしてくださっているガイドさんの案内で通称「御山」と呼ばれる千歳山に上がり、見玉尼のお墓、本光坊了顕のお墓、加賀千代女の句碑、蓮如上人像他に一つひとつ足を止めて解説してくださいました。

ところでガイドさん、段々のってこられまして、説明を超えて語りは自らの半生と人生観までいたり絶好調に!楽しく勉強になりましたが、予定時間を大幅にオーバーしてしまい蓮如上人記念館にさく時間がほとんどなくなってしまうことに……。でも、こうした信心の篤いご門徒さんが北陸の真宗王国とよばれる風土を培ってこられたんだなぁと思える方でした。


吉崎を後にして、途中昼食をとり、今回の研修の最後の目的地、「真宗出雲路派本山・毫攝寺」へ。

真宗は系譜と様々な歴史的背景から、現在では主に十派に分流しています。私たち真宗大谷派も真宗出雲路派さんもその一つです。

出雲路というのは、親鸞聖人が山城国愛宕郡出雲路(現在の京都府京都市北区)に一宇を草創されたことを由来とし、それを長男の善鸞に附与されたと伝えられていることから開祖を親鸞、第二代を善鸞とされてきました。しかし近代の研究によると東西本願寺の第三代覚如の高弟乗専が京都出雲路に毫摂寺を創建したのが始まりのようです。
そして、後の出雲路派第五代善幸上人のとき(1338)に越前水落(鯖江市)に移転し、第十一代善照上人のとき(1596)に現在の地に移り今に至るそうです。
他の宗派さんの歴史も聞いてみると実に面白いものです。


以上で5年ぶりの組門徒研修旅行の研修も無事修了。
帰路につく前に大きな道の駅に寄ってみなさんお土産を購入。私ももぉいいか~と地ビールとおつまみを買って帰りのバスの旅を満喫しました♪

2024年5月23日木曜日

27組門徒会研修旅行2024 ~ 蓮如上人ゆかりの福井・吉崎を巡る旅(前編)

組門徒会の研修旅行を5月21日から22日にかけて行いました。コロナを挟んで実に5年ぶりです。


朝8時から9時にかけて集合場所を回って、葛城ICから高速に乗り、「蓮如上人ゆかりの福井・吉崎を巡る旅」の始まりです。

昼食は近江八幡の「郷土料理 喜兵衛」さん。
お店は今流行の古民家をリノベーションしたお洒落でかつほっこりとしたステキなしつらえ。でも平成6年に開店ということですから、「流行の…」なんて言っては失礼ですね。
お料理は「板前さんではなく、地元のおばちゃんたちがひとつひとつ丹精を込めて作っております」と紹介にありましたが、なんら板前さんに遜色のない美味しいランチでした。


お店の前には水路があって、その向こうには八幡山が見えます。実によい風情の町ですね。今回は観光の時間はなかったので、ぜひプライベートで水郷めぐりと近江八幡山城跡へ登るためにこちらを訪れてみたいと思います。





昼食を終えて、米原から北陸道を走り福井へ。初日の研修の目的地は東本願寺福井別院本瑞寺です。

文明3年(1471)、蓮如上人が吉崎を開創されたのと同じ頃、北ノ庄(現福井市)にも北ノ庄総坊と呼ばれる堂宇ができたのが現在の福井別院の始まりだそうです。

職員さんが地域と真宗との関わりの歴史、別院の歴史を丁寧にお話ししてくださいました。
なんと、これまでに大火や空襲で六回もお寺が焼失してるとのこと。それでもその度に時間はかかっても再建されてきたのですから、お念仏への思いがいかに大きかったかがうかがわれます。

とはいうものの、最近の社会の変化でお寺の維持がたいへんなのは福井別院さんも同じようで、その辺のご苦労も納骨堂の説明も絡めながらお話しくださいました。


福井別院を後にした私たちは今夜の御宿となるあわら温泉の「ホテルまつや千千」さんへ。
少し到着時刻が押していましたので急いで大浴場で一風呂浴びて、予定通りの時間に夕食の場に座りました。
門徒会会長さんの挨拶と乾杯の音頭により宴席がスタート。コロナでこうした大勢のご門徒さんと会食をする機会が失われていましたので、やっぱりこういう場はいいなぁとしみじみと喜びを感じたことです。


ということで、初日のレポートはここまで。[後編へつづく

2024年5月15日水曜日

寺報5月(表)―坊守エッセイ―

 桜の季節はあっという間に過ぎ去って、季節はすっかり様変わり。今は菜の花の鮮やかな黄色が大和川の堤防を占領しています。

 さて、二月に植えたウスイエンドウが白い花の後に小さなサヤをたくさんつけています。
 毎日さやの太り具合を楽しみにしていたら、先日何者かに先を越されてしまいました。まだ育ち切っていないサヤが食いちぎられて中のお豆さんがこぼれています。カラス?アライグマ?それともまさかの身内の仕業?愛犬のすずちゃん?
 犯人はわからないままですが、横取りされないよう慌ててお初のえんどう豆を摘みました。初収穫は豆ごはんちょうど一回分。つやつや綺麗な緑色で柔らかくてとても美味しかったです。


 こうした旬の物を頂けるのって本当にありがたいことですね。
 嫌な事があったり、自信を失ったり、生活していると悩ましいことが次々と起こってきます。そんな時にかけていただける優しい言葉や温かい笑顔に私はいつも勇気づけられます。季節を感じる美しいもの、美味しいものに出会った時も、同じように力をもらっているなぁ、愛でられているなぁと思うのです。

2024年5月10日金曜日

差別をなくす奈良県宗教者連帯会議 40周年記念講演会

「差別をなくす奈良県宗教者連帯会議(奈宗連)」結成40周年を記念しまして、一般のみなさまにも聴講いただける公開の講演会を催します。

講師の上田紀行氏は、「文理を融合し、21世紀のネオ・リーダーを育成する」との理念の元に東工大に新設された大学院の初代スタッフであり、最近注目されているSTEAM教育の先駆者のような方です。
また、上田氏は文化人類学者でありつつ仏教にたいへん造詣が深い方です。15年前にも奈宗連でご講演いただきましたが、このたびの奈宗連の結成40周年記念講演に再度お招きすることがかないました。
今日本に元気を与えてくださるオピニオンリーダーの代表のような上田氏の講演に是非足をお運びください。

日時:2024年6月9日(日) 13 : 30

講師:上田 紀行 氏
東海学園大学特命副学長・卓越教授(東京工業大学特命教授)

<プロフィール>文化人類学者、専門は文化人類学。特に宗教、癒やし、社会変革に関する比較価値研究。博士。スリランカの民族仏教を研究し、「癒し」の概念と思想をいち早く提唱。2009年「奈宗連」記念講演にて「がんばれ宗教!目覚めよ宗教者!」と題し講演いただく。
著書に『生きる意味』。『立て直す力』ほか多数

<講演概要>戦争、貧困、地球環境…、この困難な時代にどうやって「輝いて」生きていけばいいでしょうか。年長者も、若者たちも、これまでの「生きる意味」の造り直しが求められています。あなたも輝き、世界も輝くような生き方をともに考えていきましょう。

場所:かしはら万葉ホール1 F ロマントピアホール

橿原市小房町11-5(近鉄橿原線 畝傍御陵前駅 東出口 徒歩13分)
電話 0744-29-1300
駐車場:無料駐車場(約450台駐車可能)あり
(ただし中央公民館・中央体育館との併用になります。)

※入場料:無料 どなたでもご参加いただけます。

問合せ先:「奈宗連」事務局(浄土真宗本願寺派奈良教区教務所)
電話 0742-44-5878

※15:15以降は「差別をなくす奈良県宗教者運帯会議 第41回総会」となります

2024年5月1日水曜日

今月の表白 五月

敬って阿弥陀如来の御前に白して言さく。それ南無の二字は弥陀をたのむ機、阿弥陀仏の四字はたのむ衆生を助け給う法なり。この名号のこころよく心得たるを他力の信心というなり。新緑の候 かくの如き安心の一義 我等の心に芽吹かんと願いつつ、念仏もろともに謹みて聖教を読誦し奉る。

 お勤めの最後に御文さんを拝読しますよね。「末代無智の在家止住の男女たらんともがらは~」というあれです。室町時代に活躍された真宗中興の祖・蓮如上人は民衆やお弟子さんたちに仏法を説いたお手紙を数多く書かれました。その内の八十通を五帖にまとめたものが『御文』です。

 その四帖目の十四通に「南無の二字は、衆生の弥陀をたのむ機のかたなり。また阿弥陀仏の四字は、たのむ衆生をたすけたまうかたの法なるがゆえに、これすなわち機法一体の南無阿弥陀仏ともうすこころなり。」とあります。
「機」というのは如来が導く対象のことで、ここでは私たちが如来に向けて「お願いいたします」という心、信心をいいます。「阿弥陀仏の四字」は、あらゆるいのちをすくい取ってくださる如来さまという意味で、その救いの〝おはたらき〟「法」を表します。
 つまり、如来からの「大丈夫、私をたよりとなさい」という呼びかけと、私たちが敬いながら「はい」とする返事とが一つになったものが南無阿弥陀仏なのですよと蓮如上人は説いてくださっています。
 世間では南無阿弥陀仏というと「ご冥福をお祈りいたします」とか「成仏しますように」のように思われていますが、全然違うでしょう。

 新緑のまぶしい季節です。いのちを育む働きが木々を茂らすように、如来の〝おはたらき〟によって私たちの心に安心と生きる喜びがどうぞ芽生えますように。

2024年4月15日月曜日

寺報4月(表)―坊守エッセイ―

 今年は寒の戻りがきつかったせいか、桜は例年よりも遅いようですね。それでも願隨寺の境内では日月星という品種の紅白の木瓜がふっくらとした蕾をたくさんつけて今にも咲きそう。春はすぐそこです。

 先月、四年振りに行われた近畿連区坊守一泊研修会に参加する為、姫路に行ってきました。関西と中国、四国地方のお寺から坊守が集まって、二日に渡り講義と座談会が行われました。
 講義は「揺るぎない答えが欲しいという妄想を越えて―答えに座り込まず問いに立つ―」というとても難しい講題でしたが、絵本を題材に分かりやすく先生がお話ししてくださいました。

 座談会では初対面の坊守同士で意見交換をするんです。同じ講義を聞いていても人によってとらえ方は様々で、とても勉強になりました。講義についてのお話しだけではなく、自坊のこと、家族の事など、寺での生活ならではの悩みも語り合えてとても有意義な時間を過ごすことができました。

 コロナ以降あらゆる催しが縮小傾向にありますが、従来の形で研修会ができてとてもよかったです。顔を合わせて話す事、同じ願いをもって一カ所に集う事の大切さを改めて感じる機会にさせていただきました。

2024年4月1日月曜日

今月の表白 四月

敬って阿弥陀如来の御前に白して言さく。それ当月八日は釈迎牟尼世尊 普く衆生のため 娑婆世界に降誕し給い「天上天下唯我独尊」と宣いき。すなわち「天にも地にも 我ひとりこの〝いのち〟尊し」との喜びを 我等もこの身に抱きつつ、念仏もろともに謹みて聖教を読誦し奉る。

 四月八日はお釈迦さまの誕生日です。なんと生まれてすぐに七歩歩いて「天上天下唯我独尊」と宣言されたと伝わっています。さすがに後世に作られた伝説だと思われますが、お釈迦さまがお生まれになられた意味を伝えんがためにそのようなお話しになったのでしょう。

 まず七歩歩いたという伝説。これは、六道(地獄・餓鬼・畜生・阿修羅・人間・天上)といわれる悪、欲、無恥、怒り、迷い、怠惰といったものから離れられない私たちの日常を、もう一歩先へ超える生き方があるということを表します。

 そして「天上天下唯我独尊」は、お釈迦さまの存在は他と比べようがなく尊いのですよという意味であると同時に、一人ひとりの存在はこの世界に上も下も無く、誰とも代わることのできない命としてそままに尊いのですよということ。

続く「三界皆苦吾当安此」は、形ある物、形のない習慣や文化、同じく形はなくとも自分の心への執着はいずれも私たちを悩ませ苦しめますが、そうした人としての性分を抱えつつも心を定め安んずる生き方があるのですよということです。


 そうした仏さまの教えはお釈迦さまがお生まれになられたからこそこの世界に示されたのであり、それがどれほど奇跡的なことであるかがお話しには込められているのでしょうね。

2024年3月15日金曜日

寺報3月(表)―坊守エッセイ―

 暖冬とはいえまだまだ寒い日もあって、冷たい雨の中をバイクでお参りに走ると心まで縮こまる思いです。でも、一雨ごとに確実に春が近づいていくのは嬉しいことです。

 先日、月参りのお勤めが終ると、「坊守さん、ウスイエンドウいります?」と嬉しいお申し出が。「はい!欲しいです!」と大喜びで応じると、「ちょっと待っててくださいね」と縁側から庭に降りて取りにいってくださいました。
 テトラポットで大切に育てられたウスイエンドウの苗は青々と瑞々しく、何か絡まれる物はないかなぁとちっちゃな蔓を伸ばし始めているところでした。兄弟同士で絡まった短い蔓を丁寧にほどいて、苗を袋に入れながら「あんたら命拾いしたなぁ」と苗に声を掛ける奥さん。たくさん苗を作り過ぎたので畑に植えない分は処分しようと思っていたそうです。
 正直、最初は豆をいただけるのかと思ってしまったのですが…そうですよね、まだ早いですよね。分かりました。その命、私が大切に育てさせていただきます!

 ということで、帰ってさっそく庫裏の南側にネットを掛けて苗を植えました。エンドウ豆の栽培は初めてなのでどうなることやら。でも、今から豆ごはんが楽しみ
です!

2024年3月1日金曜日

今月の表白 三月

敬って阿弥陀如来の御前に白して言さく。願わくは我ら凡夫、煩悩に眼障えられてみ仏の国 見たてまつらずと雖も、山野漸く花つぼみて麗しき春の一刻、遙かにみ仏の国を想い夕日沈みゆく西の彼方に浄らけき覚りの岸を願いつつ、み仏の深き恵みを偲びて、念仏もろともに謹みて聖教を読誦し奉る。

「経教はこれを喩うるに鏡のごとし」善導大師

 お経に説かれている仏さまの教えは喩えるなら鏡のようなもの。鏡は鏡の前に立つものを偽りなく映し出すように、お経を幾度も読み、その心を尋ねれば、私の偽りない心と身の事実を映し出しだしてくださいます。

 彼岸とは向こう岸のこと。古代インドのサンスクリット語のパーラミター、漢訳で「到彼岸」に由来します。
 迷い多きこちらの世界「此岸」に生きる私たちは、煩悩の川に遮られてあちらの覚りの世界「彼岸」を見ることはかなわないのですが、その川を越えて彼岸に至りましょうという仏教の教えからお彼岸の行事が生まれました。

 彼岸とは阿弥陀仏の極楽浄土でもあります。『観無量寿経』に説かれる十六の観法(心に仏法の真理を観察すること)の一つに、日没の方向の彼方にある浄土を想って浄土に生まれることを願う日想観があります。
 『正信偈』の中にもお名前がある唐の善導大師が、太陽が真西に沈む春分・秋分の日の日没にその日想観を勧めたことが、特にその時期を大切にすることにつながったようです。

 お浄土は私たちが還っていく世界であると同時に、お経と同じように、私たちの在り方を映し出してくださる世界でもあります。浄土に還っていかれた亡き人をお偲びし感謝するとともに、その方々を仏さまとしてあらためてその声に耳をかたむけ、そのお心に背いていないか、いただいたいのちを粗末にしていないか、日頃の自分の生活を振り返る大切な時としてお彼岸をお迎えしたいものです。

2024年2月15日木曜日

寺報2月(表)―坊守エッセイ―

 暦は春になっても、まだまだ厳しい冷え込みが続きますね。願隨寺境内の白梅の枝にたくさんの蕾がついていますが、朝夕の寒さにギュッと閉じたままで開花はもう少し先のようです。

 年始の事になりますが、今年のお正月は一人暮らしをしている息子が久しぶりに帰省しました。去年の修正会は仕事で不参加、お盆の永代経は台風で電車が止まり帰省できずだったので、息子が法要に出仕するのは実に二年ぶりです。普段めったに連絡もよこさず我が道をいくタイプの息子が、お節用にと鯛を捌いて聞いたこともない横文字の料理を作ってくれました。

 自分のやりたい事を見つけて修行中の身ですが、充実した日々を過ごしているようです。そんな中でも願隨寺の行事の時には帰ってきて出仕せねばならんと思ってくれることは、親としても寺を預かる身としてもとても嬉しく思います。

 息子の人生はまだまだこれからです。この先どのような世界が彼の前に開けるのか分かりませんが、ここ願隨寺の阿弥陀様の前に待つ者がいることを忘れないでいて欲しい
と思います。

2024年2月1日木曜日

今月の表白 二月

敬って阿弥陀如来の御前に白して言さく。それ当月十五日、釈迎牟尼世尊 沙羅双樹の下、八十年の生涯を閉じ 涅槃に入り給う。あらためて我等「自灯明、法灯明」、すなわち「自らをたよりとし、み教えをたよりとせよ」とのご遺訓を仰ぎつつ、念仏もろともに謹みて聖教を読誦し奉る。

 およそ二千五百年前の二月十五日、お釈迦さまはインド北部のクシナガラという地で二本の対になった沙羅の木の間に横たわり、八十歳の生涯を閉じて涅槃に入られました。その時、お釈迦さまの死を悲しんだ沙羅の木は淡い黄色い花を落として枯れ、再び真っ白な花を咲かせて、その花びらがお釈迦さまの上に舞散り覆いつくしたといわれています。
 「涅槃」とはサンスクリット語で「ニルヴァーナ」といい、「吹き消す」という意味です。煩悩の火が吹き消された状態、すべての束縛から解放されること、すなわち覚りの境地を意味します。そこから、特に「お釈迦さまの死(入滅)」を指す言葉になりました。

 そして、涅槃に入ろうとするお釈迦さまが傍らで涙する弟子たちに残した遺言が「自灯明、法灯明」です。迷いの人生にあっても、闇を明るく照らす灯火のように自らを拠り所とし、他を拠り所としてはいけません。私の説いた教え、法を拠り所として、他を拠り所としてはいけません。それは、他人の言葉に従うのではなく自分で考える人間になりなさいということであり、それでありながら、自我を中心に置かず人としてあるべき真実を中心に置いて生きていきなさいということなのです。

2024年1月15日月曜日

寺報1 月(表)―坊守エッセイ―

 新年あけましておめでとうございます。今年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。

 2023年は世の中や地球の気候がじわじわと変わってゆくのが身近に感じられる一年でした。
 私はよく「父が生きていたら今のこの世の中をどう見るだろう」と考えます。あの頃には想像もできなかったような事が次々と起こって戸惑うばかりの日々ですが、そんな私の心の中にはいつも父がいてくれます。

 昨年の夏、私と同じ歳の友人が亡くなりました。責任感が強くて、センスが良くて、気遣いができて、人の悪口を言わない、愛すべき尊敬できる友人でした。彼女と奏でた音楽を聴く度、彼女の名前の一字を見る度、彼女を思い出します。彼女もまた、「あの子ならどうするだろう」と振り返る毎に私の傍で寄り添ってくれるでしょう。

 新しい年を迎えるにつれ、年齢を重ねるにつれ、この先必ず訪れるであろう頼りとする人々との別れを意識するようになりました。確かに別れはとても悲しいことです。それでも私が歩む道も帰ってゆくべき世界も、これまで出逢った多くの先人が照らし導いてくださっているので安心です。

2024年1月3日水曜日

今月の表白 一月

敬って阿弥陀如来の御前に白して言さく。それ以みるに、新たなる年を迎え言祝ぐといえども、徒らに齢を重ねるは、めでたくもあり、めでたくもなし。願わくは我等、喜びにつれ悲しみにつれ、今年もまた深く仏祖の導きを仰ぎつつ、念仏もろともに謹みて聖教を読誦し奉る。

 新年明けましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

 さて、昨年から法事のときだけでなく、月参りの際にも始めに表白(ひょうびゃく)をあげています。表白とは「表敬告白(ひょうけいこくはく)」という言葉を略したもので、仏さまへの敬いの気持ちを表し、感謝や自らの誓いを申し告げるという意味です。
 型どおりの表白はありますが、表白はお聖教ではなく各々が心を込めて申し上げるものですので、いくつかの決まり事はあるものの自分で考えるのが本筋です。ですので一年十二ヶ月分がんばって自分で作りました。

 今月の表白はとんちで有名な一休禅師の「門松は冥土の旅の一里塚 めでたくもあり めでたくもなし」の歌からとっています。一休さんは人間の髑髏を刺した竹竿を手に持ち、この歌を詠みながら浮かれておるなよと正月ムードの京の町を練り歩いたといいます。

 確かに新しい年を迎えられたことは誠に嬉しいことでもありますが、同時に寿命が一年縮まったわけですから手放しでは喜べません。み仏の教えを聞きひらきながら、限られた人生を疎かにすることなく、今年もこうして賜った命を大切にしてゆきたいものです。

2024年1月1日月曜日