敬って阿弥陀如来の御前に白して言さく。それ南無の二字は弥陀をたのむ機、阿弥陀仏の四字はたのむ衆生を助け給う法なり。この名号のこころよく心得たるを他力の信心というなり。新緑の候 かくの如き安心の一義 我等の心に芽吹かんと願いつつ、念仏もろともに謹みて聖教を読誦し奉る。
お勤めの最後に御文さんを拝読しますよね。「末代無智の在家止住の男女たらんともがらは~」というあれです。室町時代に活躍された真宗中興の祖・蓮如上人は民衆やお弟子さんたちに仏法を説いたお手紙を数多く書かれました。その内の八十通を五帖にまとめたものが『御文』です。
その四帖目の十四通に「南無の二字は、衆生の弥陀をたのむ機のかたなり。また阿弥陀仏の四字は、たのむ衆生をたすけたまうかたの法なるがゆえに、これすなわち機法一体の南無阿弥陀仏ともうすこころなり。」とあります。「機」というのは如来が導く対象のことで、ここでは私たちが如来に向けて「お願いいたします」という心、信心をいいます。「阿弥陀仏の四字」は、あらゆるいのちをすくい取ってくださる如来さまという意味で、その救いの〝おはたらき〟「法」を表します。
つまり、如来からの「大丈夫、私をたよりとなさい」という呼びかけと、私たちが敬いながら「はい」とする返事とが一つになったものが南無阿弥陀仏なのですよと蓮如上人は説いてくださっています。
世間では南無阿弥陀仏というと「ご冥福をお祈りいたします」とか「成仏しますように」のように思われていますが、全然違うでしょう。
新緑のまぶしい季節です。いのちを育む働きが木々を茂らすように、如来の〝おはたらき〟によって私たちの心に安心と生きる喜びがどうぞ芽生えますように。
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