敬って阿弥陀如来の御前に白して言さく。源信僧都 歌に詠んで曰く。「おほぞらの 雨はわきても そそがねど うるふ草木は おのがしなじな」すなわち み仏の恵みは衆生に等しく注がるるも 報謝の心は千差万別なり。願わくは梅雨の愁いの中にも仏恩を思い、念仏もろともに謹みて聖教を読誦し奉る。
草木の種類や育つ環境は様々ですが、雨は地上の草木を選り好みして降ることはありません。
同様に人も各々の能力や性格、生活が異なりますし、信心の深さも異なります。それでも仏さまは教えを授かる気の有る無しにかか
わらず全ての人に届けようとされ、その慈悲も分け隔てはありません。
その天才が「妄念はもとより凡夫の地体なり。妄念の外に別の心もなきなり。」と、煩悩に誘われ迷う心は誰彼の差なく凡夫である私たちにとって本来的なものであり、外に特別な心、智慧、才覚など持ち合わせていないのです。そんな自分が人としてあるべき道を歩むには、私たちを分け隔てなく導き救いとってくださる阿弥陀如来と、如来が与えてくださったお念仏を頼りにするほかにないのですと自覚されました。
どうでしょう。源信僧都ほどのお方が私を育むために注がれる〝おはたらき〟なしには生きていけません、そのことに感謝せざるを得ませんとおっしゃるのでしたら、私たちもそれに習うしかなくないですか。
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