2021年1月18日月曜日

深入経蔵 智慧如海

故人は、プラスチック部品の工場を一人で切り盛りされておられ、普段のお参りはありませんでしたが、お参りでよく通る道の脇に工場がありましたのでお姿はよく拝見しました。
しかし、三年前にその工場を閉めてしまわれ以来お見かけすることがなくなり、久しぶりの再会は枕経の場になってしまいました。

法名は帰法院釋慧海。
この度も、お名前の一字をお聖教から引き、つけさせていただきました。

「自ら法に帰依したてまつる。まさに願わくは衆生とともに、深く経蔵に入りて、智慧海のごとくならん。」『三帰依文』
(私は、法(ダルマ)に目覚めて、それを依りどころとして生きていきます。それは、あらゆる人々と共に、真実の教えを深く求め、あたかも海のように深く限りない智慧をいただくことを願うからにほかなりません。)

私たちが普段使う「知恵」は得ることによって生活の役に立つ術や知識をいいます。
ところが私たちは生活のため、生きるためと得ることに必死になっているうちに本当に大切なものは埋もれて分からなくなってしまいます
「智慧」はそうした知恵をむしろ選って捨てることによって大切なものを見つけるための教えをいいます。

葬儀の場も、日常を脇に置いて、本当に大切なものと向かい合うため智慧の働きに与る場です。
ご遺族のみなさまがみ仏の智慧のお導きに会われんことを心よりお念じ申し上げます。
南無阿弥陀仏。

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