2021年6月20日日曜日

正信偈のお話 十六⑨

善導独明仏正意 矜哀定散与逆悪

光明名号顕因縁

光明とはありのままの私を照らすために投げかけられる働きのことです。
名号とは「南無阿弥陀仏」という言葉になって現れた真実のことです。

「光明名号顕因縁」とは、光明が「縁」となり、名号が「因」となって、私たちに信心が得られるという意味です。

例えば、光明とは私に仏法を聞く縁をもたらしてくれたご先祖さんや恩師や友人のことでしょう。
その人びとから照らされて、自分の内面にあって気づくことのなかった生きることの意味が明らかになっていきます。

光をもたらす人の縁にもよおされて呟くお念仏。
そのみ仏の名を称える者の内には、この人生を虚しく過ごしたくはない、人間であることの意味を成就したいという願いが、実は内因として存在しているのです。

2021年6月10日木曜日

寺報6月(裏)―住職雑感―

夕飯中にエリック・カールさんの訃報のニュースが流れました。

妻も私も大好きで、子どもたちも大変お世話になった絵本作家さんです。
特に有名な『はらぺこあおむし』は、鮮やかな色彩で、「食べる」そして「育つ」ということが、シンプルに活き活きと描かれた作品です。

各々思い入れがあり、しばし我が家は『はらぺこあおむし』トークに。

そんな中の娘の一言、「あいつ、全部ちょっとずつ食べて穴開けていきよんねん(笑)」と。
確かに私たちからするとちょっとお行儀が悪いことですよね。
でも自然界では必要なだけ食べたら後は残す。
そして残りは他の生き物が食べ尽くすことによって無駄なく命の糧となっていきます。

でも人間は、必要以上に食べるし、残りをゴミにしてしまいます。
日本では、まだ食べられるのに廃棄される食品、いわゆる「食品ロス」は年間600万トン。
これは世界中で飢餓に苦しむ人々に向けた世界の食料援助量420万トンの1.4倍に相当します。
その援助も追いつかず餓死していく子どもたちは、なんと5秒に一人もいます。

「食べる」そして「育つ」という命の自然な営みが誰にでもそうあってほしいと、今、久々にページをめくりながら絵本を味わっています。

2021年6月1日火曜日

寺報6月(表)―坊守エッセイ―

今年は例年より早い梅雨入りですね。
娘が母の日にプレゼントしてくれた紫陽花「万華鏡」が雨に濡れて元気です。

雨あがりの午後、出かけていた息子から「今、凄い虹」とメッセージが届きました。
添えられた写真にはくっきりと弧を描く虹が。

続いて「最後までたっぷり」とまたコメント。
急いで外に出てみましたが、境内からは虹の全貌が見えません。
そのまま小吉田の田んぼまで出て行ってみると、大和川の向こう側から矢田丘陵方面にかけて斑鳩全部を跨ぐ完璧な虹が見えました!

本当に根元までくっきり、そしてたっぷり。
かすかに二重にもなっています。
写真を撮ってみたのですが、スマホの画面に入りきらないほどでした。
これまで私が見た中で一番見事な虹だったかもしれません。

その日のSNSには友人達があの虹の写真をたくさん投稿していました。
離れていても同じ虹を見た感動を共有したい!
みんな心がそう動くものなんですね。

思うように人と会えないこのコロナ禍の中であればこそ、人はより繋がりを大切に思うのかもしれません。

【by坊守】

2021年5月20日木曜日

正信偈のお話 十六⑧

善導独明仏正意 矜哀定散与逆悪

光明名号顕因縁

「定(じょう)」(定心(じょうしん)の善)は雑念を離れて心を一つに集中する修行のこと、「散(さん)」( 散心(さんしん)の善)は散漫な心のままですが悪を捨て善を修めようと努力する修行のことでした。
これら定・散の人々を代表するのが『観無量寿経(かんむりょうじゅきょう)』に登場する韋提希(いだいけ)という女性です。

次に逆悪(ぎゃくあく)とは、五逆(ごぎゃく)(父、母、聖者を殺す・僧団を壊す・仏身を傷つける)と、十悪(殺す・盗む・犯す・嘘・戯れ言・悪口・二枚舌・貪り・いかり・愚痴)のことです。
この逆悪の人を代表するのが、同じく『観無量寿経』に登場する韋提希の息子・阿闍世(あじゃせ)という国王です。

そして親鸞聖人は、これら定散逆悪なる者とは決してそうした誰か、他者だけを指すのではなく、仏の真実に背き続けている自分自身の姿であると内観(ないかん)されるのでした。

2021年5月10日月曜日

寺報5月(裏)―住職雑感―

この春、コロナの感染が再拡大しはじめた頃、人権関係の全国大会に奈良県の代表として出席した時のことです。

お隣は和歌山県の代表で、お互い「大変ですね」としみじみ。

そこへ前の席に座っていた○○県の代表が振り向き、割って入ってきたんです。
「あんた、奈良か!あんたらなぁ」と関西での感染者の増加に対してもの申されました。

えぇ~、そんなん言われても。
というか、ここはやっぱり「大変ですね」とちゃいます?ねぇ。

この人、これで県の人権の代表なんだとゲンナリ…。
そして、あぁだこうだとおっしゃる言葉に「はぁ」「そうですね」と生返事をしながら私は全く別のことを考えていました。

東日本大震災の後、福島のたくさんの方々も「あんた、福島か!」という言われ方をして、返す言葉もなく我慢されたのだろうな。
そういえば震災の後、幼い子どもさんを抱える福島の二家族をお寺でのホームステイでお預かりしたなぁ。
震災から十年やから、あの子らももう中高校生になってんのやろうなぁ。
元気にしてるかなぁ…と。

ま、話を戻しますと、お参り先のみなさん全員が怒っていたこないだの「この状況の中でGoToイート販売?何考えてるの!」騒動のときじゃなくってよかったってことです。
あれを言われたら本当に縮こまるしかなかったですからね・・・。
県民が恥ずかしい思いをしないよう、行政にはしっかり考えていただきたいものです。

2021年5月3日月曜日

自家製お茶っ葉

お寺の新聞に書きました自家製お茶っ葉の詳細です。

代務寺院の境内で摘んだお茶の葉です。

電子レンジで軽くしんなりさせます。

低温のホットプレートで水分を飛ばし、手で揉む・・・を繰り返します。

すると、干しワカメのようなカリカリのお茶っ葉ができあがります。
爽やかな瑞々しい味がしました♪

【by坊守】

2021年5月1日土曜日

寺報5月(表) ―坊守エッセイ―

若葉萌ゆる新緑の季節、木々の新芽はまだ幼く、黄緑色で柔らかくて何だかとっても美味しそう…。
この時期の若い葉っぱにはまだ緑色成分の葉緑素が少なく、葉っぱにもともとあるカロチノイドという黄色い成分と重なって黄緑色に見えるのだそうです。
それが葉緑素がどんどん光合成をして増えていくと、黄色を塗りつぶしていって、日差しの強い夏ごろには濃い緑色に変わるというわけですね。

さて、代務寺院の境内に植えてあるお茶の木にも可愛らしい新芽が沢山出ています。
そこで今年初めて茶摘みをしてみました。

柔らかい葉先を三枚ほどプチプチと摘んで香りの良い茶葉を袋いっぱい収穫。
帰宅してからお茶の作り方をネットで検索し、緑茶作りに挑戦です!
揉んでは低温のホットプレートで水分を飛ばすことを何度も繰り返します。
すると、売っているお茶にはかないませんが、良い香りの爽やかなお茶ができあがりました。

無住のお寺の隅で人知れずたたずむお茶の木。
そんな木の葉っぱが本当にお茶になるのか半信半疑でしたが、予想以上にちゃんとお茶の味がして、お茶の木のその身に備わる力に感動させていただきました。
【by坊守】