2019年8月1日木曜日

寺報8月(表) ―坊守エッセイ―

「そろそろ願海の原稿上げてなぁ」毎月末になると住職から急かされながら苦心してこの文章を書いています。

参考になるものが欲しくてネットであれこれ検索していると、気になるページを見つけました。
「浄土真宗の法語に思う」と題するそのブログは「我が家の宗派は浄土真宗大谷派です。」と始まり、法語に対する疑問が書いてありました。
「煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり?」→煩悩を断じてでは?「われらは善人にもあらず賢人にもあらず」→そうでなければ、われらは悪人ですか?…と続きます。

手継ぎ寺のお住っさんに一言問うてくだされば、「煩悩を断ち切ることができない私達凡夫をこそ救うてくださるのが阿弥陀様の教えなのですよ」とお伝えできるものをと思う反面、この方は少なくとも興味を持って法語カレンダーを見て下さっているのだという事に気づきました。

御門徒さんがこちらを向いてくださっているのにそれに気付けないのは我々僧侶の怠慢でもあるのです。
願隨寺有縁の皆様、どうぞ何なりとお尋ねください。
ご一緒に聞法して参りましょう。


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