2020年8月15日土曜日

永代経勤修 ~疫癘の中のお盆

新型コロナウィルスの流行により多くのお寺さんが法要を中止、あるいは内勤めにされる中、正直例年通りに勤めることに迷いはありました。

感染のリスクはゼロにはできません。
命に関わることに責任の取りようはありません。
でも、こちらが一方的に門を閉ざして機会を閉ざしてしまうのもどうだろう・・・。

同席する時間を短縮するために、お勤めだけして法話をなしにする、そういう式次第で行うところもあります。
でも法要は勤行と法話の両輪あってのものでは?

講師を呼ばずに自分で法話をすればいい。
お彼岸のときはそうしているので別に構わないといえば構わないんです。
でもやっぱりこんな時だからこそ先生のお話を聞いてもらいたい・・・。

どれも単なるあなたの意地では?そう言われればそうかもしれない・・・。
そんな風に逡巡の毎日でした。

そしていざ当日。
講師の宮部先生は『御文』の四帖目第九通の「疫癘の御文」を引いて、本来死すべき身であることを忘れて生きている私たちの有様についてお話しくださいました。
例えコロナを避けられたとしても、「生老病死」は避けられません。
死すべき身であることを常に自覚した上でどのように道を選び生きるのか・・・それが仏教をいただく者の生き方です。


結果として例年の半分のお参りでしたが、十分すぎるほどです。
自らの選びでお念仏するために足を運んでくださったみなさまに深く感謝申し上げます。

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