2019年5月20日月曜日

続 「人が亡くなった時、仰向けに寝かされのはなんで?」

「いつ答えを書いてくれるんですか。ずっとボーっと生きたままになるやないですか」とお叱りを受けました。
お待たせしました。では・・・

「チコちゃんは知っています。たぶん(笑)。人が亡くなると仰向けに寝かされるのは~、(ジャジャン)亡くなった人を見ることを強制するため~」
・・・どうでしょう。ピンときますでしょうか。

一般に、お葬式は亡き人とのお別れの儀式と思われていますよね。
仏教的には、それだけではなく、死を縁に仏教に出会っていただくということに重きを置きます。
しかし、宗教を問わず、民族を問わず、人類が太古から行ってきた葬送の儀式の一番の目的は、人に死体を見てもらうことにあるんです。

お茶の水女子大学の文化人類学者・波平恵美子さんの『からだの文化人類学』という本から一節を紹介させていただきます。
「葬式を執行する人々は決して意図しているわけではないのだが、遺体を「見せびらかして」いるのであり、遺体は「見せびらかされている」のである。亡くなった人が生き残った人々に「見ることを要請している」、さらには、周囲の人々は亡くなった人に「見ることを強制されている」とさえいえる。」
つまり、人に死体を見てもらう、それもしっかり見てもらう、見たくなくても見なさいと強制する、そういう意味があるんです。

最近は、葬送の際に遺体を列をなして運ぶということはなくなりましたが、昔はありましたね。
でも、もし運ぶだけなら数人で事足りますし、チャッチャと運んでも構わないはずです。
なのに列をなして練り歩くのには、みんなに「この人は死にました」とわざわざ見せて回るという意味があるんです。


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みんなで亡き人を見送ってあげたい。そういう気持ちもきっとあるでしょう。
でも、亡き人を見送る前提として、死を受け入れるということが必要です。
そのためにも、この人は死にました!と知らしめる必要があるんです。

例えば、戦死された時もそうですし、東日本大震災の時もそうでしたけど、遺体がないと遺族はなかなか死を認めることができません。
遺体との対面は辛いことですが、それがないと遺族の心が迷うんです。
死んだ側ではなく遺族の方が迷うんです。
ですから「お辛いでしょうが、よく見てください。間違いなく亡くなられておられます。分かりますか」「はい・・・」という確認はとても大事なことなんです。
     【つづく】

2019年5月10日金曜日

正信偈のお話 道綽決聖道難証④

道綽決聖道難証 唯明浄土可通入
万善自力貶勤修 円満徳号勧専称
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道綽(どうしゃく)の生涯を辿りますと、誕生前の十年間に遡りますが、549年に梁の武帝が殺され、中国北部では戦乱の日々が始まります。
その上、557年と翌年はイナゴの害で作物が全滅。
さらに度重なる政変で次々と皇帝が死んでは変わりました。
このような時代に道綽は生まれています。

道綽の故郷は戦火に踏み荒らされ、「人畜の死骸が相枕し数百里にわたって絶えず」という言葉が残るほどでした。
さらに大雨、飢饉で餓死者がでるわ、彗星があらわれ不安が広がるわ。
そんな厳しく不穏な世の中にも関わらず、僧侶たちは浮世離れした生活を送っていました。
これが道綽の三歳頃までの状況です。

2019年5月4日土曜日

チコちゃん風クイズ「人が亡くなった時、仰向けに寝かされのはなんで?」

NHKの『チコちゃんに叱られる!』という番組はご存じですか?
「大人のみなさん、ちゃんと答えられますか?何も考えずにノホホンと暮らしいるとチコちゃんに叱られますよ」「ボーっと生きてんじゃねーよ!」って聞いたことありません? 

お笑いのナインティナインの岡村隆史さんが「チコちゃんでーす!」と紹介して、「チコです。どぉも~。永遠の5歳です。本日もよろしくお願いいたします」という挨拶で始まります。
番組の中身は、5歳という設定のチコちゃんという着ぐるみ女の子が、大人の解答者たちに素朴かつ当たり前過ぎる疑問を「なんで?」って聞くんです。
それに大人が、「えっ、なんで!? なんで・・・」って答えに詰まると、真っ赤に巨大化した顔で、「ボーっと生きてんじゃねーよ!」の決め台詞で怒られるという番組です。

ご門徒さんも結構ご覧になっておられる人気番組なので、今年の法話の枕に『チコちゃんに叱られる!』を真似してオリジナルの問題を披露していまして、お陰様でとてもウケてます(笑)。

「ねえねえ、この中で、身内との悲しいお別れも経験してきた一番人生経験豊かな大人ってだぁれ?
それでは、すいません、ちょっとお尋ねします。
人が亡くなると、どういう風に横たえてあります?
そうですね。仰向けに寝かされていますね。・・・あれはなんで?」

ちなみに、うちの息子は「それが普通やん」って言いました。
でも横を向いていても俯していてもいいものを、私たちはわざわざ仰向けにするんです。それは何故なんでしょう?
嫁は「だって、うつ伏せだったら、眼とか鼻とかからデロデロ出てくるやん」って答えました(笑)。
確かにそうなのですが、そういう物理的なことよりも、もっと他の理由があるんです。

「チコちゃんは知っています。たぶん(笑)。人が亡くなると仰向けに寝かされるのは~、(ジャジャン)答えはまた今度~♪」
     【つづく】

2019年5月1日水曜日

寺報5月(表) ―坊守エッセイ―


年号が令和に改まりましたね。

三十年前の平成が始まった時は昭和の天皇陛下の容態が連日報道され自粛ムードの中だった為、どこか物悲しく今のようなおめでたい雰囲気は全くなかったことを思い出します。

当時私は高校三年生、その日は高校が休校になったので友人と出掛けたものの、どこへ行っても休業でやることもなく駅のベンチで時間を潰していました。
出歩く人も少なくて、まるで世の中の時間が止まってしまって、日本中が息を潜めているかのようでした。

あの頃はまだ得度もしていなくて、和裁も着付けも習っていなくて、三十年後の自分が寺に暮しているなんて考えもしませんでした。
両親に庇護される事が当たり前の生活の中で、小さな不満や屁理屈や生意気な夢を語っていたように思います。
私が気づけなかっただけで、許され、願われ、見守られていたにも関わらず…。

私の愛用の楽器はあの年に両親に買ってもらったものです。
今も変わらず両親の庇護の中にいる私です。
     【by坊守】

2019年4月26日金曜日

正信偈のお話 道綽決聖道難証③

道綽決聖道難証 唯明浄土可通入
万善自力貶勤修 円満徳号勧専称


道綽(どうしゃく)は出家・在家の区別なく念仏することを勧めたので、念仏は広く世間に行き渡りました。

子どもたちを集めては、升に盛った小豆粒を称名一遍に一粒ずつ他の升に移させて念仏の回数を数えることを教えました。
それによって7歳以上の者はみな念仏をとなえるようになったといいます。

また彼は、木楼子(むくろじの実)をつないで数珠を作り、それで念仏を数えさせました。
数珠はインドで、もとバラモンが用いていたものですが、後に仏教でも用いるようになりました。
中国の仏教史では記録による限り道綽の用いたものが最も古い例です。

2019年4月14日日曜日

菜の花のトンネル

大和川にかかる沈下橋、正しくは『大城橋』(だいじょうばし)というらしいですね。
奈良県内に唯一遺った「沈下橋」だそうです。

この時期は橋の両側に菜の花が綺麗です。
車を運転していると左右に菜の花だけが見えるので菜の花のトンネルをくぐっているような気持になります。
     【by坊守】

2019年4月11日木曜日

「おはなまつり」の表白・その二

表白集の「おはなまつり」の大人用が私の担当。
子ども会用は後輩の吉内くんが作りました。

出来上がってきたものは、私を含め凡庸な坊さんの常識を越えるスゴイものでした(笑)。
みなさん、童心に返ってお読みください。


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「おはなまつり」(子ども会用)

しろいぞうだぞう
きょうはとってもうれしいぞう
そらからあまいあめがふってくるぞう
どうぶつもみんなうたいだすぞう
はなもいっぱいさくんだぞう
さあさあ みんなでよろこぶぞう
たのしいこともいっぱいあるんだぞう
つらいこともいっぱいあるんだぞう
かなしいこともいっぱいあるんだぞう
いっぽいっぽあるくんだぞう
そらをみんなでゆびさすぞう
だいちもみんなでゆびさすぞう
みんなみんなありがとうだぞう
なんだかとってもゆかいだぞう
さあさあみんなでうたうんだぞう

甘茶の 茶 茶 茶
甘茶の 茶 茶 茶
茶 茶 茶 甘茶の 茶 茶 茶
空からきらきら あまいあめ
みんなわくわく 歌いだす
お花もいっぱい 咲きほこり
かける甘茶の 茶 茶 茶