2024年2月15日木曜日

寺報2月(表)―坊守エッセイ―

 暦は春になっても、まだまだ厳しい冷え込みが続きますね。願隨寺境内の白梅の枝にたくさんの蕾がついていますが、朝夕の寒さにギュッと閉じたままで開花はもう少し先のようです。

 年始の事になりますが、今年のお正月は一人暮らしをしている息子が久しぶりに帰省しました。去年の修正会は仕事で不参加、お盆の永代経は台風で電車が止まり帰省できずだったので、息子が法要に出仕するのは実に二年ぶりです。普段めったに連絡もよこさず我が道をいくタイプの息子が、お節用にと鯛を捌いて聞いたこともない横文字の料理を作ってくれました。

 自分のやりたい事を見つけて修行中の身ですが、充実した日々を過ごしているようです。そんな中でも願隨寺の行事の時には帰ってきて出仕せねばならんと思ってくれることは、親としても寺を預かる身としてもとても嬉しく思います。

 息子の人生はまだまだこれからです。この先どのような世界が彼の前に開けるのか分かりませんが、ここ願隨寺の阿弥陀様の前に待つ者がいることを忘れないでいて欲しい
と思います。

2024年2月1日木曜日

今月の表白 二月

敬って阿弥陀如来の御前に白して言さく。それ当月十五日、釈迎牟尼世尊 沙羅双樹の下、八十年の生涯を閉じ 涅槃に入り給う。あらためて我等「自灯明、法灯明」、すなわち「自らをたよりとし、み教えをたよりとせよ」とのご遺訓を仰ぎつつ、念仏もろともに謹みて聖教を読誦し奉る。

 およそ二千五百年前の二月十五日、お釈迦さまはインド北部のクシナガラという地で二本の対になった沙羅の木の間に横たわり、八十歳の生涯を閉じて涅槃に入られました。その時、お釈迦さまの死を悲しんだ沙羅の木は淡い黄色い花を落として枯れ、再び真っ白な花を咲かせて、その花びらがお釈迦さまの上に舞散り覆いつくしたといわれています。
 「涅槃」とはサンスクリット語で「ニルヴァーナ」といい、「吹き消す」という意味です。煩悩の火が吹き消された状態、すべての束縛から解放されること、すなわち覚りの境地を意味します。そこから、特に「お釈迦さまの死(入滅)」を指す言葉になりました。

 そして、涅槃に入ろうとするお釈迦さまが傍らで涙する弟子たちに残した遺言が「自灯明、法灯明」です。迷いの人生にあっても、闇を明るく照らす灯火のように自らを拠り所とし、他を拠り所としてはいけません。私の説いた教え、法を拠り所として、他を拠り所としてはいけません。それは、他人の言葉に従うのではなく自分で考える人間になりなさいということであり、それでありながら、自我を中心に置かず人としてあるべき真実を中心に置いて生きていきなさいということなのです。