2024年1月15日月曜日

寺報1 月(表)―坊守エッセイ―

 新年あけましておめでとうございます。今年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。

 2023年は世の中や地球の気候がじわじわと変わってゆくのが身近に感じられる一年でした。
 私はよく「父が生きていたら今のこの世の中をどう見るだろう」と考えます。あの頃には想像もできなかったような事が次々と起こって戸惑うばかりの日々ですが、そんな私の心の中にはいつも父がいてくれます。

 昨年の夏、私と同じ歳の友人が亡くなりました。責任感が強くて、センスが良くて、気遣いができて、人の悪口を言わない、愛すべき尊敬できる友人でした。彼女と奏でた音楽を聴く度、彼女の名前の一字を見る度、彼女を思い出します。彼女もまた、「あの子ならどうするだろう」と振り返る毎に私の傍で寄り添ってくれるでしょう。

 新しい年を迎えるにつれ、年齢を重ねるにつれ、この先必ず訪れるであろう頼りとする人々との別れを意識するようになりました。確かに別れはとても悲しいことです。それでも私が歩む道も帰ってゆくべき世界も、これまで出逢った多くの先人が照らし導いてくださっているので安心です。

2024年1月3日水曜日

今月の表白 一月

敬って阿弥陀如来の御前に白して言さく。それ以みるに、新たなる年を迎え言祝ぐといえども、徒らに齢を重ねるは、めでたくもあり、めでたくもなし。願わくは我等、喜びにつれ悲しみにつれ、今年もまた深く仏祖の導きを仰ぎつつ、念仏もろともに謹みて聖教を読誦し奉る。

 新年明けましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

 さて、昨年から法事のときだけでなく、月参りの際にも始めに表白(ひょうびゃく)をあげています。表白とは「表敬告白(ひょうけいこくはく)」という言葉を略したもので、仏さまへの敬いの気持ちを表し、感謝や自らの誓いを申し告げるという意味です。
 型どおりの表白はありますが、表白はお聖教ではなく各々が心を込めて申し上げるものですので、いくつかの決まり事はあるものの自分で考えるのが本筋です。ですので一年十二ヶ月分がんばって自分で作りました。

 今月の表白はとんちで有名な一休禅師の「門松は冥土の旅の一里塚 めでたくもあり めでたくもなし」の歌からとっています。一休さんは人間の髑髏を刺した竹竿を手に持ち、この歌を詠みながら浮かれておるなよと正月ムードの京の町を練り歩いたといいます。

 確かに新しい年を迎えられたことは誠に嬉しいことでもありますが、同時に寿命が一年縮まったわけですから手放しでは喜べません。み仏の教えを聞きひらきながら、限られた人生を疎かにすることなく、今年もこうして賜った命を大切にしてゆきたいものです。

2024年1月1日月曜日