2022年1月15日土曜日

寺報1月(表)―坊守エッセイ―

蝋梅の柔らかな甘い香りが漂う季節ですね。

蝋梅が好きだった父は境内に根付かせようと枝を貰ってきては何度も挿し木に挑戦していたのですが、結局うまくいきませんでした。
ところがこの冬、数年前にご門徒さんから苗でいただいた蝋梅が初めて蕾をつけたのです。
お父さん、願隨寺に蝋梅が咲いたよ!

先日、数年ぶりに私がお参りするお宅へとバイクを走らせておりますと、ふと「あれ?何処で曲がるんやっけ?」と道が分からなくなってしまいました。
何度か伺ったことのあるお宅なので憶えているつもりだったのに…。

運転しながら記憶を手繰ります。
そういえば、そのお宅への道は父に教えてもらったのでした。

「木でできた人しか渡れへん細い橋があるからな。それを越えて…その次の車も渡れる大きな橋のひとつ手前を左に曲がるねん。」

流れる景色に合わせてよみがえる父の声に導かれて、無事に辿り着くことができました。

「亡くなられても大切な人は常にあなた中にいて下さる」というのはこういう事なのかもしれないと感じた出来事でした。

仏さまとなっても私の生活にちょこちょこ顔をみせてくれる父です。

【by坊守】

2022年1月3日月曜日

寺報1月(裏)―住職雑感―


年賀状に添えた言葉は、江戸時代の真宗大谷派の僧侶、一蓮院秀存の詠んだ歌です。

秀存は美濃の生まれで、たいへん賢く十四歳で京へ上り、高倉学寮(後の大谷大学)に入り学僧(仏教の研究者)となった人物です。

世の中の常なきことの知らるるは仏の道に入るはじめなり」の歌のように、思いがけないことや不都合が自分自身や人生を見直す契機となります。

例えば、親や大切な人の存在のかけがえのなさは失って初めて身に染みることが多く、それをご縁に〝仏さまに手を合わせる〟心が芽生える人は少なくありません。

また、環境破壊やコロナ禍など大きな変化が押し寄せている昨今ですが、それによって大切なことが失われつつある危機感は、人間のあり方を見直す機縁にもなります。

本当に大切なものを失ってしまう前に、人として変わってはならない心と、それを明らかにしてくださる仏さまの教えを、共に大切に守っていきたいものです。

2022年1月1日土曜日

新年のご挨拶

光寿無量

新年明けましておめでとうございます。
本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。