2024年4月15日月曜日

寺報4月(表)―坊守エッセイ―

 今年は寒の戻りがきつかったせいか、桜は例年よりも遅いようですね。それでも願隨寺の境内では日月星という品種の紅白の木瓜がふっくらとした蕾をたくさんつけて今にも咲きそう。春はすぐそこです。

 先月、四年振りに行われた近畿連区坊守一泊研修会に参加する為、姫路に行ってきました。関西と中国、四国地方のお寺から坊守が集まって、二日に渡り講義と座談会が行われました。
 講義は「揺るぎない答えが欲しいという妄想を越えて―答えに座り込まず問いに立つ―」というとても難しい講題でしたが、絵本を題材に分かりやすく先生がお話ししてくださいました。

 座談会では初対面の坊守同士で意見交換をするんです。同じ講義を聞いていても人によってとらえ方は様々で、とても勉強になりました。講義についてのお話しだけではなく、自坊のこと、家族の事など、寺での生活ならではの悩みも語り合えてとても有意義な時間を過ごすことができました。

 コロナ以降あらゆる催しが縮小傾向にありますが、従来の形で研修会ができてとてもよかったです。顔を合わせて話す事、同じ願いをもって一カ所に集う事の大切さを改めて感じる機会にさせていただきました。

2024年4月1日月曜日

今月の表白 四月

敬って阿弥陀如来の御前に白して言さく。それ当月八日は釈迎牟尼世尊 普く衆生のため 娑婆世界に降誕し給い「天上天下唯我独尊」と宣いき。すなわち「天にも地にも 我ひとりこの〝いのち〟尊し」との喜びを 我等もこの身に抱きつつ、念仏もろともに謹みて聖教を読誦し奉る。

 四月八日はお釈迦さまの誕生日です。なんと生まれてすぐに七歩歩いて「天上天下唯我独尊」と宣言されたと伝わっています。さすがに後世に作られた伝説だと思われますが、お釈迦さまがお生まれになられた意味を伝えんがためにそのようなお話しになったのでしょう。

 まず七歩歩いたという伝説。これは、六道(地獄・餓鬼・畜生・阿修羅・人間・天上)といわれる悪、欲、無恥、怒り、迷い、怠惰といったものから離れられない私たちの日常を、もう一歩先へ超える生き方があるということを表します。

 そして「天上天下唯我独尊」は、お釈迦さまの存在は他と比べようがなく尊いのですよという意味であると同時に、一人ひとりの存在はこの世界に上も下も無く、誰とも代わることのできない命としてそままに尊いのですよということ。

続く「三界皆苦吾当安此」は、形ある物、形のない習慣や文化、同じく形はなくとも自分の心への執着はいずれも私たちを悩ませ苦しめますが、そうした人としての性分を抱えつつも心を定め安んずる生き方があるのですよということです。


 そうした仏さまの教えはお釈迦さまがお生まれになられたからこそこの世界に示されたのであり、それがどれほど奇跡的なことであるかがお話しには込められているのでしょうね。