先月、九州の実家の仏さまに手を合わせに帰りました。
お参り以外には特に用事もないので、卒業以来一度も訪れていない高校の様子でも覗いてみようかと思い立ちました。
大学は県外で、就職は東京、寺の娘と付き合って奈良に住んで今に至るのでかれこれ四十年ぶりです。
ちょっとワクワクしながら西鉄電車に乗って最寄り駅に着くと……なにこれ?
ホームに行くのに線路を歩いて渡ってた小っちゃな駅が特急が停まる巨大な高架駅に!
駅から出るとロータリーとビル!
昔はそんなものなかったし、道も変わっていてどっちへ向かえばいいのやら。
母校への道をスマホに頼るしかないとは再開発恐るべしです。
自宅の周りもそうですが、もう懐かしいと思える故郷の風景は残っていません。
あちらへ足を運ぶのは母が生きている間のことで、それすらなくなればきっと帰ることもなくなります。
でもそれは大事なことかもしれません。
帰るところが〝ここ〟しかなくなったときに、ようやく〝ここに生きる〟ものとしての覚悟が生まれます。
それは、浮世に心の逃げ場を求めていたけれど、そのようなものを失って初めて真に仏法に目覚めるようなものかもしれません。