2023年1月10日火曜日

寺報1月(表)―坊守エッセイ―

あけましておめでとうございます。

新型コロナウィルスの名を聞いてから三回目のお正月になります。あの頃はお隣の国で流行している病気が日本にも入ってくることに不安を感じつつも、数カ月くらい経てば終息して、夏になればオリンピックがあるんだろうなと思っていました。しかし、あれよあれよという間に全国に感染が広まりもう三年…。

コロナの感染者数は高止まりの状況ですが、自粛されていた事が徐々に再開され、以前のような社会生活が取り戻されつつあります。

願隨寺でもお磨き講には沢山のご参加を頂き、報恩講コンサートも再開されました。けれどコロナ前の社会生活に完全に戻る事はありません。

仏事も行事も「元に戻る」のではなく、これまで守られてきた伝統や想いを大切にしながら、時代に合った形で新たに始める覚悟がいるのだと思います。

願隨寺の阿弥陀様の前にたくさんのご門徒様がお集まりいただけるよう勤めてまいりますので、どうぞ皆様のお力をお貸しください。

【by坊守】

2023年1月3日火曜日

寺報1月(裏)―住職雑感―

新年明けましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

年賀状に添えた言葉は、平安時代末期に編纂された『千載和歌集』の中の一首です。
詠み人は九条兼実。摂政・関白として朝廷と源頼朝の間に立ち難しい政局に当たった優れた人物でしたが、反兼実派によって失脚した後は、親鸞聖人の師の法然上人を戒師として専修念仏の門に入りました。

「人ごとに変るは夢の迷ひにて覚むればをなじ心なりけり」の歌は、仏教がお題になったときに、平等性智(等しさを見抜く智慧)を兼実が詠んだものです。

詞書(歌を詠んだときの註釈)によると、人の心の良し悪しは見る人の勝手な想いであってその妄夢から覚めればみな同じであるという意味になるそうです。

ても、歌というものは各々の鑑賞もアリですので、文面そのまんまですが、昨年からのウクライナ情勢のこともありますし…
煩悩に迷い各々の望みは異なろうとも大事なことに気づいてみれば本当に願うこと(例えば平和)はみな同じ。自分の正義、煩悩への囚われから目覚めて本当に大切なことを共にいただいてまいりましょう。
…という鑑賞もいいかなと思い、年賀に添えさせていただきました。